2012年 08月 13日
たくさんの思い出とともに
このブログをごらんになられていた皆様へ。

昨日、このブログを更新し続けていた母が亡くなりました。穏やかな旅立ちでした。

今までの御交誼感謝申し上げます。

母の遺志によりこの旨をお知らせいたします。

母にとってこのブログは晩年の生きがいになっていました。

皆様の暖かいコメントに感謝いたします。


息子一同より。

# by mimishimizu3 | 2012-08-13 09:29 | その他
2012年 07月 12日
k332
     軽やかな
     
        K(ケッヘル)332
       
         流れ来て


       生きているって

        ホントにステキ

  
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# by mimishimizu3 | 2012-07-12 07:33 | 短歌
2012年 07月 08日
アガパンサス   神田川
                アガパンサス
                大家(おおや)の庭より
                もらいきて
                 
                牛乳瓶に飾った
         
                新婚の日はるか
           
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               ラジオより
               「神田川」の曲
               流れ来て
               ふと涙ぐむ
               遠き青春


               貧しくて
               狭くてそれでも
               楽しかった
               「神田川」そのまま
               われらの青春



                        
                       
   
     

# by mimishimizu3 | 2012-07-08 08:37 | 短歌
2012年 07月 07日
ほろにがき恋
      若き日の
      ほろにがき恋
      そのままの

      テレビドラマは
      音低くしてみる


 
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今日は七夕
天の川では二人が会えるといいですね。

# by mimishimizu3 | 2012-07-07 10:03 | 短歌
2012年 07月 06日
梅雨の晴れ間は
     友ありて

       花とおかしとおしゃべりと

           梅雨の晴れ間は

         心の晴れ間

 
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# by mimishimizu3 | 2012-07-06 07:51 | 短歌
2012年 07月 04日
やさしくあらな
     人はみな

      つゐには死ぬるものならば

         やさしくあらな

             わが犬のごと


    
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# by mimishimizu3 | 2012-07-04 08:54 | 短歌
2012年 07月 02日
雨の音聞く
   まったりと移ろうときに身をゆだね

      雨の音聞く

        暗き日曜

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# by mimishimizu3 | 2012-07-02 13:28 | 短歌
2012年 06月 30日
独居の庭に
          泰山木の花

      枝高く
      凛として咲く
      白い花 
      90翁の
      独居の庭に

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# by mimishimizu3 | 2012-06-30 09:16 | 短歌
2012年 06月 27日
サクランボ
  桜桃と呼ぶよりやはりサクランボ

    梅雨憂さ忘れさす

       赤い妖精

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# by mimishimizu3 | 2012-06-27 07:37 | 短歌
2012年 06月 26日
かるがもの赤ちゃん
   かるがものあかちゃん4羽生まれたよ

    登校の子ら  声弾ませて

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# by mimishimizu3 | 2012-06-26 09:28 | 短歌
2012年 06月 25日
テレパシー
     テレパシーあるものならば届けよと

       面影しのぶ梅雨寒の午後

 
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# by mimishimizu3 | 2012-06-25 08:06 | 短歌
2012年 06月 24日
合掌す吾
    まさに今沈まんとする太陽に

       いつしか合掌す
 
           吾のありけり


  
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# by mimishimizu3 | 2012-06-24 08:33 | 短歌
2012年 06月 23日
今日の命よ
     明日もまた

        かくありけれと祈るのみ

             赤き夕日よ

          今日の命よ   

  
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# by mimishimizu3 | 2012-06-23 08:07 | 短歌
2012年 06月 22日
くちなしの花
     むかしおもふ

     そぼ降る雨に濡れながら

     ひそかに咲きぬ

     くちなしの花

 
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# by mimishimizu3 | 2012-06-22 07:47 | 短歌
2012年 06月 21日
安らかな寝息
    安らかな

      あなたの寝息きいていたよ

          朝一番の会話はずめり

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# by mimishimizu3 | 2012-06-21 10:43 | 短歌
2012年 06月 20日
ままごとのような時間
           ままごとのような時間がすぎてゆきます

             老いたるふたり死を語りつつ

   
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おまけ・・・・
6月18日、朝日新聞の「朝日歌壇」に次の歌がありました。

    金太郎飴のごとくに介護する
     
          老母と暮らす今日は日食     神奈川県 本田廣喜

老いた母の介護の毎日、ルーティーンは決まりきっていてそれが「金太郎飴」のようだと思われたのでしょう。
そんな決まりきった毎日の「日常」に、ふとあらわれた「日食」という「非日常」
作者はそのわずかな「非日常」におおいに慰められ、はげまされ、勇気付けられたのでしょう。
「今日は日食」 その短い言葉に込められた本当に重い重い、重みを思いました。

日食といえば、福岡では残念ながら雨に見舞われ見ることはできませんでした。
東京に住んでいる中学1年生の孫が、自分でとった写真を送ってくれました。
掌に入るほどの小さな簡単なコンパクトカメラですのに、今のカメラは性能がいいのですね。
   
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# by mimishimizu3 | 2012-06-20 10:39 | 短歌
2012年 06月 19日
つばな揺れおり
    はつ夏の

        もの憂きかげを  やどしつつ


    つばな揺れおり


         夕日の丘に


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# by mimishimizu3 | 2012-06-19 09:18 | 短歌
2012年 06月 13日
大地の二人
 家の近くの小さな医院で、ある点滴をしてもらうこととなった。

 待合室に入ると、すでに何人もの人が椅子にすわり、無表情のまま、黙って虚空を見詰めていた。重苦しい空気があたりを支配していた。
 そんな時、どやどやっとにぎやかな声とともに高齢の女性が二人、いっしょに入ってきた。
 どうやらこの先にある田園地帯からやってきた、農家のおばさんのようである。
 一人は腰が60度近く曲がり杖を付いていた。もう一人はやはり日に焼けた厚い皮膚の顔に深いしわを刻み、背中はせむしのように湾曲していた。
 二人は「よっこらしょ」と同時に声を出すと椅子に座り、あたりをじろじろとみまわした。そして隣の人に「飴いら んとね?」と声をかけた。
 声をかけられた高齢の男性はいかにも迷惑そうに「いらんとよ」とぶっきらぼうに答え、そっぽを向いた。
 待合室の空気ががらっと変わっていくのがよくわかった。

 私はすぐに呼ばれ、待合室から伸びている廊下をとおり、つきあたりの「処置室」に案内された。そこは簡単なベッドが幾つか並び、移動式の、これも簡単な間仕切りのカーテンで仕切られていた。

 私は、窓際のベッドに休むよう言われた。ベッドからは庭の木々も見え、空を行く雲も見えた。
 手に点滴の管が通され、私はぼんやりと窓の外を見ていた。
 しかし、私がぼんやりと雲を眺めているまもなく、隣のベッドがにぎやかになった。
 どうやらさっきの農家の女性が私の隣のベッドに入ったらしい。
 「よっこらしょ!」という元気な声が聞こえ、同時にもう一つ向こうのベッドにも、もう一人の女性が入ったらしく、「このベッド高かねえ・・」という明るい声が聞こえた。

 私は目を瞑った。否応なく、隣のベッドもその向こうのベッドの声も筒抜けに聞こえてくる。正直のところ、はじめは参ったな、とおもった。
 静かに空行く雲でも眺めながら1時間の点滴をやり過ごすつもりだったのに、これではにぎやかなおしゃべりにつき合わさざるを得ないだろう・・・

 しかし、聞くともなく聞こえてくるその元気な農家の女性たちのおしゃべりは決していやなものではないということがすぐにわかった。自分が育てている野菜の話し、虫の話し、花の名前の話し・・・それらはすがすがしく、いつの間にか私は聞き耳を立てていた。

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 そして、話しは佳境に入っていった。

 「それはそうと、あんたくさ、きのう娘さんの車でどっかいかんしゃったろうが、どこにいかんしゃったとね?」
 「ああ、ドライブったいね。ムスメの車で天神ばいったとよ」
 「天神・・・よかねえ・・・して、天神でなんばしごしゃったと?」
 「そしゃあ、あんたくさ、天神ばいったら、《ショッピング》だろうが・・」

 私はフフフ・・と笑い出しそうになった。
 文字だけでは絶対に伝えることはできないが、彼女は《ショッピング》の箇所を、あたかもトランポリンをするように、《ショ》のところをゆっくりとそれでも力を込めていってから、《ピング》のところを高く空にでも放り上げるようにアクセントをつけいったのだ。
 それはまるで生まれたはじめて《ショッピング》をする子どもの楽しさとうれしさが凝縮されているかのようないいかたであった。
 これはまさに漫才ではないか、期せずして、この二人は漫才をしている・・・そして、話しはいよいよ大団円、落語でいえば、「オチ」の部分に入っていった。

 「ショッピングねえ、よかねえ・・して、なんばこうたと?」
 「そらあんたくさ、内緒ったい」
 「こすかあ・・!・・・」

 そこまで二人の会話が弾んだとき、その会話が聞こえていた看護師や事務の人や付き添いの人などみながいっせいにハハハ・・・と声を出して笑い出した。
 私も思わず引き込まれて笑ってしまった。一陣のさわやかな風が吹き抜けていった。

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 なぜ、「内緒ったい」「こすかあ・・」がそれほどおかしいのか、それは福岡以外の人には少々説明が必要かもしれない。

 福岡に長谷川法世さんという漫画化がおられる。その方がご自身の実写と、長谷川さんが書かれた漫画のキャラクターとで、博多の銘菓のCMにでておられるのだ。評判のいいCMなのだろう、もう何年も続いているCMである。それは博多の守り神、櫛田神社で長谷川さんと漫画のキャラクターがお祈りをし、「法世さん、なんばおいのりしたとね?」というキャラクターに長谷川さんが「そりゃあ、ないしょったい」という。すると漫画の男の子が「こすかあ・・・」というのである。そこで長谷川さんが「まあ・・この〇〇でもたべんね」といって銘菓を差し出すのだ。
 つまりこの農家の二人は最期のオチをこのCMそのまま使ったことになる。
 それだけでも、かなりのウイットとユーモアセンスがなければできないことではあるまいか。
 このお二人は、頭の回転も速く、笑のコツを心得ている。

 大地を耕し、大地とともに生き、大地を愛し大地から愛されてきた二人、おそらく、「自然」に逆らう愚かしさを骨身を持って知り、「自然」を受け入れ、「自然」ともに生きてこられたにちがいない。顔の深い皺はその証でもあろうが、二人の女性のなんと屈託なく、底抜けに明るいことか!
 腰が曲がり、背中がまがり、医院に来るようになったということは、どこかからだの不具合が生じたからにちがいない。しかし、そんなことも、この二人にとっては「自然」の成り行きなのかもしれない。愚痴ることもなく、大騒ぎすることもなく、淡々と自分の「運命」を当たり前の「自然」として受容しておられるのにちがいない。

 私は、病気になってからの自分を省みた。めそめそしたこともあった。何で私が?・・と天を責めたこともあった。
 でも、そんなことがなんになろう。
 この二人のように、病気のことなど忘れ、からっと明るく「自然体」で生きるのが一番なのかもしれない。

 窓の外は初夏のさわやかな空気がながれていた。
 私は声なき声で二人に「ありがとう!」といってベッドを離れた。

# by mimishimizu3 | 2012-06-13 12:01 | エッセイ
2012年 06月 11日
少年の日 川で遊ぶ
近くの川で、水につかりながら、遊びに熱中している少年たちがいました。

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「何をしているの?」と聞いてみると、《おけら》をつかまえて、小さな堰の上から競争させるのだそうです。

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少年の日
自然の中で遊んだ記憶はきっと心の糧になってゆくことでしょう。
元気で、たくましく育て!

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# by mimishimizu3 | 2012-06-11 08:18 | 福岡
2012年 06月 08日
朝まだき病院
      哀しみも

          涙もすべて


             秘めしまま
    
       静かに息づく

             朝まだき病院


  
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# by mimishimizu3 | 2012-06-08 09:18 | 短歌
2012年 06月 07日
斜めのひかり
       
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          はつ夏の
            午後の病室
               けだるさと

              斜めのひかり
                 満ち充ちてあり

# by mimishimizu3 | 2012-06-07 15:11 | 短歌
2012年 06月 06日
眼下の街は・・
      高熱に
        うなされ続けし 
           夜あけて
             眼下の街は
                  静けかりけり

     
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# by mimishimizu3 | 2012-06-06 09:31 | 短歌
2012年 06月 05日
落日
福岡 2012 5月21日 19:13

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# by mimishimizu3 | 2012-06-05 12:40 | 自然 風景
2012年 06月 02日
八橋
花しょうぶの美しい季節となりました。
福岡の舞鶴公園にある菖蒲園は、「八橋」が架けられて、それもまたいい風情を出しています。

八橋とは広辞苑によりますと次のように出てきます。
 「湿地などに、幅の狭い橋板を数枚、折れ折れに継ぎ足した橋」

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でも、八橋といえば、京都のお菓子「八つ橋」をまず思い出しますよね(笑)

# by mimishimizu3 | 2012-06-02 16:52 |
2012年 05月 08日
「生きる」  木漏れ日によせて
 初めて訪れたその日本庭園は、さわやかな5月の風が吹きぬけ、刻が静かに流れているようだった。
 木々の新緑はまばゆいまでに輝き、新しい季節と新しい命の歌を心ゆくまでうたっていた。
 私は小道を歩いた。木漏れ日が体全体にふりそそがれ、私をやさしくつつんでくれた。目をつぶった。明るい透明な世界に自分が立っていることを実感した。
 突然、私の頭の中で、ビバルディの有名な「四季」の第一楽章、「春」のメロディが高らかに鳴り響いた。
 それは清新な命の喜びの歌であった。

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 そうしているうち、私はふと、ここには前にも来たことがある、私はそのときもこうして木漏れ日の降り注ぐ小道に立ち、今と全く同じような体験をしたことがある!と思った。
 この場所はたしかに見覚えがあるのだ。私はいつだったかやはりこの場所に立ち、こうして木漏れ日を浴びながら、頭の中でなるビバルディのメロディをきいたのだ、それは間違いない!

 しかし、その庭園を私が訪れるのはたしかに今回が初めてのはずであった・・・

 「規視化」というのであろうか、初めてのところなのに来た事がある、体験したことがある、と感じてしまうこの奇妙は感覚、誰もが一度や二度は体験するといわれている現象に私は困惑して、その場にたたずんだ。

 しかし、その奇妙な現象の原因は、割合と早く解決された。

 木漏れ日の庭に佇んでからそれほど立たない日、私は付けっぱなしにしていたラジオから、昨年の3:11の被災者に送る詩が朗読されることを知った。私は音量を上げ、聞き耳をたてた。
 谷川俊太郎「生きる」の詩を俳優の佐藤浩市氏が朗読するものであった。
 はじめのところを聞いて、私は「これだ・・!」と自分で自分のひざを打った。

      
       生きる   
                                      谷川俊太郎
     生きているということ
     いま生きているということ
     それはのどがかわくということ
     木漏れ日がまぶしいということ
     ふっと或るメロディを思い出すということ
     くしゃみをすること
     あなたと手をつなぐこと
       ・
       ・ 
       ・
 ずっと以前、この詩を読んだとき、私は木漏れ日の道を思い描き、そこでビバルディの音楽を思い描いたのだろう。それが「規視感」となって私に残ってしまったのだろう。
 佐藤浩市氏の朗読は抑制の聞いた落ち着いた声で、しみじみと心に訴えかけてきた。

 私は改めて谷川俊太郎の「生きる」という詩を読んだ。

     生きているということ
     いま生きているということ
     いま遠くで犬が吠えるということ
     いま地球が廻っているということ
     いまどこかで産声があがるということ
     いまどこかで兵士が傷つくということ
     いまぶらんこがゆれているということ

     いまいまがすぎてゆくこと

 初めてこの詩を読んだとき、正直に言えば、私はただ「ふーん」と思っただけであった。余りにも当たり前、余りに平易・・・

 しかし、今、「命」と向き合う日々を送る中で読み返してみると、この詩のもつ奥深さに始めて気が付いたように思う。
 当たり前のことがなんといとおしく、なんと大切なことか、そして当たり前のことがなんと貴重なことであることか!!

「 生きる」は次のフレーズで終わる。

     生きているということ
     いま生きてるということ
     鳥ははばたくということ
     海はとどろくということ
     かたつむりははうということ
     人は愛するということ

     あなたの手のぬくみ
     いのちということ

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 私はあの木漏れ日の庭園を思った。静かなときが流れていたあの道、あの庭園にたっていたとき、私はたしかに「生きて」いた。暖かな人のぬくもりも身近に感じつつ、私は「あたりまえ」の中にいた。「生きる」ということ、それは木漏れ日がまぶしいこと、ふっとあるメロディを思い出すこと・・・
 木漏れ日の庭園はわたくしに「生きる」喜びをあらためて教えてくれた。


     お知らせ
今日から、2週間の予定で「別荘」(笑)に行ってきます
その別荘は、時により悪さをするモンスターが出没するといううわさもあるので、モンスターにつかまらないよう、十分注意して、「別荘生活」を楽しんできますね(笑)

# by mimishimizu3 | 2012-05-08 08:13 | エッセイ
2012年 05月 07日
タワーと白い花
今、東京では、というより日本中が「東京スカイツリー狂想曲」に聞き入っているようです。
たしかに、あれだけ高いと、たしかに一度はのぼってみたいですね(笑)

福岡にある「福岡タワー」
私は好きな場所のひとつです。
タワーのある百道周辺には、白い花が咲く木もあり、初夏のさわやかな風に揺れていました。


ナンジャモンジャ
正式名称はたしか「ヒトツバタゴ」
でも、ナンジャモンジャのほうがずっとずっと親しみがわきますね。
まるで雪に覆われたようです。

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総合図書館の前にあるヤマホウシ
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エゴの木も白い花をつけていました。

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# by mimishimizu3 | 2012-05-07 13:46 | 福岡
2012年 05月 04日
天橋  下関先帝祭り
ゴールデンウイーク真っ盛り
皆様はどのような大型連休を楽しんでいらっしゃいますか。
私は、ひたすらおとなしく、家に閉じこもっております(笑)

今日の朝日新聞(西部本社版)に昨日行われた、下関先帝祭の写真が載っていました。

「諸行無常の美しさ」

うまいタイトルを考え付くものですね。
先帝祭には3年前行き、このブログにもアップしています

花魁に扮した女性が、赤間神宮の水天門から拝殿にかかる朱塗りの天橋を渡り、拝殿で安徳天皇を慰霊します。
外八文字と呼ばれる独特の歩き方で、このときにだけかかる橋を渡ってゆきます。

時代絵巻を見るようで、まさに「諸行無常の美しさ」でした。

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# by mimishimizu3 | 2012-05-04 09:48 |
2012年 05月 03日
春の雑草Ⅳ  ホトケノザ
   春の野には
   仏様の台座がいっぱい
   いっぱい

   よかったですね
   ほとけさま

 
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# by mimishimizu3 | 2012-05-03 17:13 |
2012年 04月 30日
春の雑草 Ⅲ コバンソウ
ある日、山の中でキツネの坊やのキン太と、タヌキの坊やのポン太がばったり出会いました。
キン太がポン太にいいました。
「オマエ、なんか化かすことできるのか?」
タヌキのポン太はいいました。
「できるとも!おいらはなんだって化かすことできるのさ」
するとキツネのキン太は調子に乗って、「じゃあ、葉っぱを小判にしてみろよ」といいました。
ポン太はその辺の葉っぱを取って、一生懸命おまじないをかけました。が、葉っぱは小判になってくれません。
それを、ニヤニヤと見ていたキン太がいいました。
「おれ様は、小判など簡単にできるぞ」

キツネのキン太は、後ろ手に、そっとコバンソウを隠して持っていたのです。そのコバンソウは、お父さんのキツネから、タンポポの汁をたくさんかけてもらい、きらきら光っていたのです。だから、本当の小判のように見えました。

「エッヘン!これはコバンであるぞ!」
キツネのキン太は得意になってタヌキのポン太に見せました。
ポン太は目を丸くして驚きました、本当に小判のようです。

「すごいなあ・・キン太くんは、化かすの上手だねえ・・・さすがきつねだねえ・・・」

でも、そのとき、急に雨が降ってきました。
キン太の持っていたコバンソウにも雨が当たり、たちまちタンポポの汁が溶け出し、流れていきました。

そこにはその辺にいっぱい咲いている、普通のコバンソウがあるだけでした。

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「なあんだ・・・普通のコバンソウじゃないか・・・」
タヌキのポン太がそういうと、キツネのキン太は顔を赤くして、すごすごと、尻尾を巻いて山に帰っていきましたとさ。

オシマイ。

# by mimishimizu3 | 2012-04-30 09:12 | 童話
2012年 04月 29日
春の雑草Ⅱ ムラサキケマン
華鬘(けまん)とは、仏殿などに飾られる装飾具のことだそうです。
日陰にひっそりと咲く、この雑草のどこが華鬘ににているのか、私にはよくわかりませんが、
こんな雑草に、立派な仏具を重ね合わせた先人たちの信仰心の篤さを思います。

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# by mimishimizu3 | 2012-04-29 09:11 |