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2012年 05月 08日
初めて訪れたその日本庭園は、さわやかな5月の風が吹きぬけ、刻が静かに流れているようだった。 木々の新緑はまばゆいまでに輝き、新しい季節と新しい命の歌を心ゆくまでうたっていた。 私は小道を歩いた。木漏れ日が体全体にふりそそがれ、私をやさしくつつんでくれた。目をつぶった。明るい透明な世界に自分が立っていることを実感した。 突然、私の頭の中で、ビバルディの有名な「四季」の第一楽章、「春」のメロデメロディが高らかに鳴り響いた。 それは清新な命の喜びの歌であった。 ![]() そうしているうち、私はふと、ここには前にも来たことがある、私はそのときもこうして木漏れ日の降り注ぐ小道に立ち、今と全く同じような体験をしたことがある!と思った。 この場所はたしかに見覚えがあるのだ。私はいつだったかやはりこの場所に立ち、こうして木漏れ日を浴びながら、頭の中でなるビバルディのメロディをきいたのだ、それは間違いない! しかし、その庭園を私が訪れるのはたしかに今回が初めてのはずであった・・・ 「規視化」(デェジャヴュ)というのであろうか、初めてのところなのに見たことがある、体験したことがある、と感じてしまうこの奇妙は感覚、誰もが一度何度は体験するという現象に私は困惑して、その場にたたずんだ。 しかし、その奇妙な現象の原因は、割合と早く解決された。 木漏れ日の庭に佇んでからそれほど立たない日、私は付けっぱなしにしていたラジオから、3:11の被災者に送る詩が朗読されることを知った。私は音量を上げ、聞き耳をたてた。 谷川俊太郎「生きる」の詩を佐藤浩市氏が朗読するものであった。 はじめころを聞いて、私は「これだ・・!」と自分で自分のひざを打った。 生きる 谷川俊太郎 生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ 木漏れ日がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみをすること あなたと手をつなぐこと ・ ・ ・ ずっと以前、この詩を読んだとき、私は木漏れ日の道を思い描き、そこでビバルディの音楽を思い描いたのだろう。それが「規視感」となって私に残ってしまったのだろう。 佐藤浩市氏の朗読は抑制の聞いた落ち着いた声で、しみじみと心に訴えかけてきた。 私は改めて谷川俊太郎の「生きる」という詩を読んだ。 生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ いまいまがすぎてゆくこと 初めてこの詩を読んだとき、正直に言えば、私はただ「ふーん」と思っただけであった。余りにも当たり前、余りに平易・・・ しかし、今、「命」と向き合う日々を送る中で読み返してみると、この詩のもつ奥深さに始めて気が付いたように思う。 当たり前のことがなんといとおしく、なんと大切なことか、そして当たり前のことがなんと貴重なことであることか!! 「 生きる」は次のフレーズで終わる。 生きているということ いま生きてるということ 鳥ははばたくということ 海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ ![]() 私はあの木漏れ日の庭園を思った。静かなときが流れていたあの道、あの庭園にたっていたとき、私はたしかに「生きて」いた。暖かな人のぬくもりも身近に感じつつ、私は「あたりまえ」の中にいた。「生きる」ということ、それは木漏れ日がまぶしいこと、ふっとあるメロディを思い出すこと・・・ 木漏れ日の庭園はわたくしに「生きる」喜びをあらためて教えてくれた。 お知らせ 今日から、2週間の予定で「別荘」(笑)に行ってきます その別荘は、時により悪さをするモンスターが出没するといううわさもあるので、モンスターにつかまらないよう、十分注意して、「別荘生活」を楽しんできますね(笑) 2012年 05月 07日
今、東京では、というより日本中が「東京スカイツリー狂想曲」に聞き入っているようです。 たしかに、あれだけ高いと、たしかに一度はのぼってみたいですね(笑) 福岡にある「福岡タワー」 私は好きな場所のひとつです。 タワーのある百道周辺には、白い花が咲く木もあり、初夏のさわやかな風に揺れていました。 1 ナンジャモンジャ 正式名称はたしか「ヒトツバタゴ」 でも、ナンジャモンジャのほうがずっとずっと親しみがわきますね。 まるで雪に覆われたようです。 ![]() 2 ![]() 3 総合図書館の前にあるヤマホウシ ![]() 4 エゴの木も白い花をつけていました。 ![]() 2012年 05月 04日
ゴールデンウイーク真っ盛り 皆様はどのような大型連休を楽しんでいらっしゃいますか。 私は、ひたすらおとなしく、家に閉じこもっております(笑) 今日の朝日新聞(西部本社版)に昨日行われた、下関先帝祭の写真が載っていました。 「諸行無常の美しさ」 うまいタイトルを考え付くものですね。 先帝祭には3年前行き、このブログにもアップしています。 花魁に扮した女性が、赤間神宮の水天門から拝殿にかかる朱塗りの天橋を渡り、拝殿で安徳天皇を慰霊します。 外八文字と呼ばれる独特の歩き方で、このときにだけかかる橋を渡ってゆきます。 時代絵巻を見るようで、まさに「諸行無常の美しさ」でした。 ![]() 2012年 05月 03日
春の野には 仏様の台座がいっぱい いっぱい よかったですね ほとけさま ![]() 2012年 04月 30日
ある日、山の中でキツネの坊やのキン太と、タヌキの坊やのポン太がばったり出会いました。 キン太がポン太にいいました。 「オマエ、なんか化かすことできるのか?」 タヌキのポン太はいいました。 「できるとも!おいらはなんだって化かすことできるのさ」 するとキツネのキン太は調子に乗って、「じゃあ、葉っぱを小判にしてみろよ」といいました。 ポン太はその辺の葉っぱを取って、一生懸命おまじないをかけました。が、葉っぱは小判になってくれません。 それを、ニヤニヤと見ていたキン太がいいました。 「おれ様は、小判など簡単にできるぞ」 キツネのキン太は、後ろ手に、そっとコバンソウを隠して持っていたのです。そのコバンソウは、お父さんのキツネから、タンポポの汁をたくさんかけてもらい、きらきら光っていたのです。だから、本当の小判のように見えました。 「エッヘン!これはコバンであるぞ!」 キツネのキン太は得意になってタヌキのポン太に見せました。 ポン太は目を丸くして驚きました、本当に小判のようです。 「すごいなあ・・キン太くんは、化かすの上手だねえ・・・さすがきつねだねえ・・・」 でも、そのとき、急に雨が降ってきました。 キン太の持っていたコバンソウにも雨が当たり、たちまちタンポポの汁が溶け出し、流れていきました。 そこにはその辺にいっぱい咲いている、普通のコバンソウがあるだけでした。 ![]() 「なあんだ・・・普通のコバンソウじゃないか・・・」 タヌキのポン太がそういうと、キツネのキン太は顔を赤くして、すごすごと、尻尾を巻いて山に帰っていきましたとさ。 オシマイ。 2012年 04月 29日
華鬘(けまん)とは、仏殿などに飾られる装飾具のことだそうです。 日陰にひっそりと咲く、この雑草のどこが華鬘ににているのか、私にはよくわかりませんが、 こんな雑草に、立派な仏具を重ね合わせた先人たちの信仰心の篤さを思います。 ![]() 2012年 04月 28日
この《雑草》の前で 踏み潰すことを躊躇する人は いるだろうか・・・・ 踏み潰して 当たり前 踏み潰されて 当たり前 そこに コメツブウマゴヤシが 命を輝かせていることすら 誰も 気づこうともしない ![]() 踏み潰されて当たり前の《雑草》は しかし、明るい春の日差しのもとで 楽しそうに 春の歌を歌っていた 2012年 04月 26日
チューリップは ちゅーりっぷ と たどたどしい ひらがなで書かれたとき その可憐さが よりいっそう増すのではないだろうか ![]() シンプルな姿 はっきりした色 ![]() 孫が書いてくれた ちゅーりっぷの絵を見ていたら そんな気がしてきた 2012年 04月 23日
ハナミズキが美しく咲いています 花水木、なんと、詩的な名前を付けてもらったのでしょうか。 字面だけでも引寄せられます。 花水木は秋には紅葉しますし、赤い実もつけます。一年で2度楽しめる花です。 街路樹にしているところも多いとか・・・ 福岡にも城南区七隈に「花みずき通り」と名づけられた通りがあります。 まだ、幹周りもそんなに太くなく、したがって花もまだまだ少ないのですが、あと数年して、木が大きく育ったら、ここはきっと多くの人が訪れることでしょう。 1 ![]() 街撮りは、電線との戦い??? 少ない場所を探しても、そうそうあるわけではありませんからねえ・・・(笑) 2 フレッシュマンどうしでしょうか、堂々と手をつなぎ・・・ 花水木の花言葉は「私の思いを受けてください」だそうです この若い二人に幸多かれ!! ![]() 3 ピンクの花水木もきれいです ![]() 4 「しあわせの黄色いポスト」もありました。 もちろん、現役で活躍中です。 このポストに投函すると、「しあわせ」もいっしょに届けられるのかな?? ![]() 2012年 04月 21日
清潔感あふれる明るい病院の待合室は、静謐な空気が漂い、クラシック音楽がかすかに流れていた。 最近は予約制が確立されたせいだろう、待合室がごった返すということはなく、いつも数人が電光掲示板に示される自分の番号をおとなしく待っている。 私も椅子に腰掛け、ぼんやりと順番を待っていた。 私の前には、私より年長の、多分80代と思われる、こざっぱりとした身なりの、横顔が上品な女性がひとり、杖をわきにおいて座っていた。 電光掲示板が変わり、その女性の番号が示されたのだろうか、杖を突いてゆっくりと立ち上がると、ふと後ろを振り返った。私の目と女性の目がきりっと合った。 彼女はふと寂しそうな笑みを浮かべると、なぜか私に会釈した。私も釣られてあわてて会釈をかえした。 たったそれだけのことであった。いや、それだけのことであるはずだった・・・ ほどなく、診察室から女性が戻ってきたとき、その顔はさっきよりさらに寂しそうだった。目元が潤んでいるようにも見えた。私は無意識のうちに近寄り、彼女に手を添えた。 しかし、その時、電光掲示板が変わり、私の診察の番号を示していた。私は、彼女から手を離し、「お気をつけて・・・」というのが精一杯だった。 ![]() 私の定期健診は簡単に済み、いつもの薬の処方箋が出されたが、その日、私は月1回の、ある定期的な点滴を受けることになった。約1時間もかかるその点滴は、処置室で行われ、私はベッドに横になって目をつぶっていた。点滴が終わり、私はロビーに向かった。 その病院は建て替えられたばかりで、窓が大きく、通路と一体となったロビーにはおしゃれなソファーやテーブルまで置いてある。私を迎えに来てくれる家族との約束の場所もそのロビーであった。 そこに、私は先ほどの女性が一人ぽつんと座っているのを見た。私が点滴を受けている約1時間の間、彼女はそこにいたのだろうか・・・私は吸い寄せられるように、そばに座った。彼女はほっとしたように、くちもとをほころばせた。 窓の外には、桜が揺れていた。盛りはもうとっくに過ぎ、少しの風にも、はらはらと花びらが舞っていた。 「もう、桜もおわりですね・・」彼女は静かに言った。 「そうですねえ・・」私も静かに返した。短い命だ。もしかしたら、期せずして、二人とも同じ思いを感じていたのかもしれない。 私は、1時間もの間、一人でそこに座っていたのか、という喉まででかかった質問をかろうじて飲み込んだ。 しばらく沈黙が続いた。 彼女は、ふと言いよどむように、口ごもった。そして思い切って話すように私にいった。 「あなた、四苦八苦って言葉、ごぞんじですよね」 私はびっくりした。いきなり、何を言い出すのだろう。私はてっきり、身の上話でも聞かされると思っていたのに・・・・ 「四苦八苦ですか・・・たしか・・・」 私は以前友人とそんな話をしたことを思い出した。確か、仏教から出た言葉ではなかったか。 「たしか・・・ショウ、ロウ、・・・」と私が言い出すと、女性はその言葉を引き取るように言った。 「そう、生、老、病、死ですよね。生きることは苦しい、老いることは苦しい、病気になることは苦しい、そして死ぬことはもっと苦しい・・・私は、老いて、病気になって・・・生きているってつらいですね。」 女性は目を落とし、うつむいた。でも、そんなことを言われれば、私だって《老いて》《病んで》いるのだ。病院に来る人は病んでいるから来るのだ。《死》についてだって、私の脳裏にはいつもあると言っても過言ではない。いつ、どこで、どんな《死》を迎えるかは誰にもわからないが、《死》はいつか、確実にやってくる。 「四苦」は人間、皆背負っているのだ。 私が黙り込むと、女性はまた静かに言った。 「ごめんなさい。いきなりこんなこと言って・・・驚かれたでしょう。私、ずっと誰かに話したくって・・・最近、誰とも話していないので・・・」 そのとき、私の目の隅に、迎えに来てくれた家族の姿が入った。私はちょっと片手を上げ合図をした。 それを見ていた女性が言った。 「お迎えですか・・」 私がかすかにうなずくと、女性は一瞬躊躇したようだったが、小さな声でつぶやくように言った。 「私も、ムスメがここに迎えに来てくれるんです」 それを聞いて、私はほっとした。 「そうですか、それはよかった。ではまたいつかお会いしましょう」 私はそういって立ち上がった。点滴のあとのけだるさもあった。早く家に帰りたかった。 会計を済ませ、病院の玄関を出ようとしたとき、さっと風にあおられた桜が私の顔に当たった。 桜散る・・・ 薄紅色の小さな花びらを私は見詰めた。桜は短い命を生き切って、いさぎよく散ってゆく。その舞姿のなんと美しいことか! 帰りの車に乗り込むと、病院の周囲のたくさんの大きな桜の樹が、あたかも争ってでもいるかのように散り急いでいた。桜吹雪・・・見とれていた私は、ふと雷にでも打たれたように「あっ」と思った。 あの女性は「ムスメ迎えに来てくれるんです」といったけれど・・・ それは、ほんとうのことだったのだろうか・・・最近、誰とも話していない、といったのは何だったのか・・・ もしかして、私を安心させるための方便ではなかったか・・・ 散り行く桜を見ながら、私は「四苦八苦」と言う言葉を反芻した。 生、老、病、死・・しかし・・・ 「四苦」のほかに人間にはさらに「弧」という苦しみがあるのではないか・・・ あの女性は、もしかしたら一人で病院に来て、一人で診察を受け、一人で帰っていくのかもしれない、私はふとそんな気がした。 2500年前のお釈迦様が生きていた時代にはあるいはなかったかもしれない「孤独」という苦しみが、今の日本には存在している。 私は女性の寂しげな表情を思い浮かべた。 そして、いや、そんなことはない、と、自分の考えを強く否定した。 あの女性はたしかに娘さんがいて、病院に迎えに来てくれるのだ。だから、1時間以上もロビーで待っていたのだ・・・何らかの理由があって、最近その娘さんとも意思疎通ができなくなっていたかもしれないが、でも、母と娘、本来は仲むつまじいに違いない・・・ 私は強いてそう思った。 桜吹雪が私の乗った車を追い越して行った。 ![]() 2012年 04月 19日
約30年前の、日本のバブル景気とは一体なんだったのでしょうか・・・ お金が有り余り、行政は「ハコモノ」をたくさん作りました。今、その維持管理費が重くのしかかっていると、テレビが放送していました。 この橋もまた、バブルの落とし子といっていいでしょう。 博多湾を埋め立て、人工の都市を作り・・・・ とてもおしゃれなきれいな橋です。 上と下、二重になっています。「ふれあい橋」などというありきたりの名前を付けられています。 通れるのは上も下も、人間と自転車だけ、何故、二重にしなければならなかったのか、私にはよくわかりません。 でも、通っていると、楽しくなるし、遠くから眺めてもきれいだから、それだけでいいか・・・ ![]() 2012年 04月 17日
福岡ドーム近くの、百道中央公園のウコンさくらが、今、見ごろを迎えていますよ・・・・ 友人がうれしい情報を届けてくれました。 御衣黄桜は、このブログでも2007年4月9日にアップしています。 ソメイヨシノが終わったころ、緑色の変わった花を咲かせる桜です。 それとよく似たウコン桜は、緑がそう濃くはなく、地味な感じがしました。 でも、ドームとウコン桜という珍しい取り合わせが面白く、明るい春の日を堪能いたしました。 ![]() ドームの中ではちょうど対ロッテ戦がおこなわれていたようです。 でも、そんなことは関係なく、暖かな日差しを浴びて、草野球をする一団がいました これもまた、これでいいものですね。 ![]() ![]() おまけ ドーム近くに行くと、いつもそばに行って、見上げてしまいたくなる彫刻があります。 ニキ・ド・サンファール 「大きな愛の鳥」 ![]() 元気の出る彫刻です。 2012年 04月 15日
母親を車椅子に乗せ、近くの橋の上で、二人だけの静かなお花見をする娘さん・・・ 柔らかな春の光が、よりやさしさを湛えていました ![]() 2012年 04月 14日
「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲く なんて信じられないことじゃないか。 俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不 安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た 桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」 こんなぎょっとする、恐ろしいことをサラッと書いたのは、昭和7年、31歳の若さで、肺結核で死んだ梶井基次郎である。 ![]() 私が梶井基次郎の作品にはじめて触れたのは、高校の国語の教科書に載っていた「檸檬」であった。 梶井の代表作とされる「檸檬は」、しかし、高校生の私にとっては、何度読んでもよくわからない小説というか、散文詩であった。 難しい言葉も多かった。舞台となった京都にも私はそのころまだ行ったこともなかった。レモンを置いてくる、「丸善」という書店についても私には何の知識もなかった。 今、読み返してみても、「檸檬」は結構難しい作品といえるだろう。 作者の言わんとするところ、一種独特な感性を持ったこの文章を完全に理解するには、読み手の側の相当高度な感受性が必要なのではあるまいか。 ただ、高校生の私が、この作品の中で、リアリティを持って理解できたところが1箇所だがある。 それは結核のため微熱を持った主人公が、冷たいレモンを手に握り締め、その冷ややかな感触を楽しむ、というところであった。私は、熱を帯びた男の手の中で、レモンが、その熱を吸い取り、だんだんとぐったりし、ぐにゃっとしていくさまを思い浮かべた。 その感触をもったまま、図書館で借りてきた梶井基次郎の本の中にあった、「桜の樹の下には」は、だから、妙にレモンがぐったりしていくさまと、桜の樹下に埋められた死体が腐ってゆくさまが私の中で呼応したのかもしれない 私には、たくさんの木がお互い咲き誇っている桜並木などでは、梶井基次郎を思い出すことはなかった。 しかし・・・ ![]() 「一本桜」と呼ばれるこの桜を遠くから眺めたとき、その美しさにあっと息を呑み、思わず駆け寄り、近くで見上げ、呆然となった。そして次の瞬間、私はふと桜の根元を見詰め、そして反射的に「桜の樹の下には」という梶井基次郎の文章を思い出し、そして背筋がぞくぞっくと寒くなった・・・・ 樹齢300年といわれるこの「一本桜」は長い年月、誰からも注目もされず、風雪に耐え、生き延びてきたのだろう。 そしてあるとき、村人がその美しさに気づいたのだろう。 美しく成長した「一本桜」を見上げ、村人は何をおもったのだろうか・・・ 一本桜は妖しい美しさをもって村人を魅了したに違いない。 単に「きれい」「美しい」といって済ましてしまうには、物足りない何かがこの桜にはある。 人の心をとろけさせてしまうような、今まで見たこともない異次元の世界に引き込まれていってしまうような・・・ そんな「妖しさ」をもった「一本桜」だ。 梶井が言うように本当の「死体」が埋まっているとは思わない。 けれど「死体」が埋まっていて、その養分を吸い取って桜がこんなに「妖しく」美しく咲いている、といわれても、ふっとそれを信じてしまいたくなる何かがこの桜にはあるような気がする。 「桜の樹の下には」は梶井基次郎という繊細な、鋭敏な神経の持ち主によって初めて言語化され、作品化された。そしてそれは、その後多くの人の心に、「うーーん」とうならせるものを、ぽとりと落としていった。 一人の熱を帯びた作家の感性の大きさを、今、私はしみじみと思っている。 2012年 04月 11日
遠くから眺めたとき、そこにはブルーシートがかぶせられているのかと思いました。 ![]() でも、少し近寄って眺めて、それがネモフィラの花だとわかったときは「わあっつ・・」と歓声を上げてしまいました。 ![]() 今、海ノ中道海浜公園では恒例のフラワーピクニックが開かれていて、さまざまな花が咲き誇っています。 中でも圧巻はこのネモフィラの丘で、やわやかいブルーの小さな花々が、まるで地上に現れた星の流れのように、やさしく、訪れた人を迎えてくれます。 ![]() オオイヌノフグリをちょっと大きくしたような、かわいい、清楚な花は、人の心にそっとよりそい、人の心の悲しみを、そっと吸いとってくれるようです。 ![]() 暖かい春の日、人もまばらな公園には、小さな命が、精一杯その命を輝かせていました。 2012年 04月 07日
桜と橋 このコラボがないかなと探したら、外付けに残っていました。(2011,4,6 撮影) ![]() 福岡の都心と西部を結ぶ都市高速道路、博多湾をひょいとまたいで行きます。 荒津大橋 地面をはってゆくよりずっと早く、快適です。海風を感じながら流れてゆく景色を楽しむのもいいし、こうして遠くから眺めるのもまたいいものです。これは昨年、西公園から撮影したものです。 2012年 04月 05日
桜の花のやさしさにつつまれて 母と子は いつもより さらに さらに 暖かく やさしく 心を通わせていた ![]() 2012年 04月 03日
4月2日 福岡では「桜満開」とテレビがいっていました。 開花は平年より4日ほど遅かったけれど、「開花宣言」のあと、一気に気温の高い日が続き「満開」は平年と同じ日になったそうです。 気温に敏感な花のですね。 福岡市の西部を流れる「室見川」 私のブログでも何度も登場したところですが、その下流から程近いところにちょっとした桜並木があります。 「河畔公園」として市民に親しまれています。 土手の向こう側には団地が並び、生活感の中に溶け込んだ桜の名所です。 ![]() 私も例年、ここにお花見に行きます。 ![]() お花見は、多くの人で賑わい、ドンちゃん騒ぎをするのも楽しいけれど、あまり人もいないところで、静かにお弁当を広げるのもいいものです。 私の数メートル離れたところで、かなり年配の男性が、桜の木の下で、敷物を引き、一人ビールを飲み、お弁当を広げ、桜を見上げまたビールを飲み・・・としていました。 私ははじめ、連れがあり、その連れがちょっと席をはずしているものとばかり思っていたのですが、私が家族といっしょにお弁当を広げている間、ずっと一人でした。 そしてしばらくすると、あたりを片付け、敷物を上げ、そこをあとにしていきました。 一人花見・・・・ それもまたいいものでしょう。 明るい春の日、家に一人こもっているより、桜の花をめでながらひとり優雅な時間を過ごした「おじいちゃん」に拍手喝さいを送りたいと思いました。 2012年 04月 01日
春の陽がやわらかく降り注ぎ、桜もまるで恥らうかのように、一つ二つと咲き出した。 いつもの散歩コースの途中、ふと道を一本そらしてみようと思った。 まだまだ、苗木からやっと大きくなり始めた桜の木を見ながら、顔をあげたとたん、私は「あっ」と声を上げた。 9階建てのマンションの裏庭に、マンションと織り成すかのように、大きなミモザの木が満開の花をつけ、風に揺られていたのだ。 ![]() どこか南国のイメージを髣髴とさせるその花を、私は感慨深く眺めた。 1960年代、私は東京で学生生活を送っていた。 そのころから映画好きだった私は、時間ができるとよく新宿の「名画座」に行った。 今で言う、ミニシアター、なのだろう、値段も安く、よく「往年の名画」を上映していた。 そんな中の一つに「ミモザ館」があった。 内容はすっかり忘れてしまったが、私が「ミモザ館」をいう題名を強烈に覚えていたのはわけがある。 それは「ミモザ」というのが、木であり、黄色い大きな花を咲かせるということをはじめて知ったからだ。 モノクロであったから、ミモザが黄色であることは映画ではわからなかったはずだ。多分セリフの一部にでも出てきたのだろうか、私の脳裏には風に揺れる大きなミモザの花が鮮やかに印象付けられた。 しかに、実際に私がミモザの花を目にしたのはそれからずっと、ずっと経ってからであった。 50年前、日本にはまだ「ミモザ」はそれほど多くは存在していなかったのではあるまいか・・・ 映画を見てから数年の後、私はある要件を抱え、鎌倉の一軒の家を探していた。重い用件であった。私の心も重く、沈みがちな暗い気分をどうしようもなく、私ははじめて歩く道に戸惑っていた。 そのとき、誰の姿もない、、静かな、いかにも鎌倉、という感じの古い家の門に、大きなミモザの花がもたれかかるように咲いているのが目に飛び込んできた。 それは家の雰囲気と取り合わない、ちぐはぐな感じを私に与えた。しかし、私はその花をじっと眺めた。 生命力がありそうな、強そうなその花は、そのときの私にエールを送ってくれているような気がしてきた。 私は顔をあげ、道を歩き出した。目的の家を探し当てたとき、私はなんだか前向きになれるような気がしていた。 ![]() ネットで調べてみると、「ミモザ館」は、1934年製作、フランスの名画の一つに数えられているようだ。 ストーリーはとっくに忘れても、題名は、きちんと覚えている・・・・私にとっては忘れられない映画である。 ミモザは最近、ところどころで見かけるようになった。 散歩の途中、ふと目にしたミモザ、思いもかけず、遠い昔を思い出させてくれた。 それにしても、私は「ミモザ館」を一人で見に行ったのだろうか、それとも誰かといっしょにいったのだろうか・・・ それは深い霧のにつつまれて、思い出すことはできない。 2012年 03月 30日
春、花の咲く木はたくさん、たくさんあるのに、桜に対して日本人が持つ、この独特な、特殊な感情は一体どこから来るのでしょうか。 ![]() (3月29日の近所の桜) 春が近づくと、桜が気になりだします。 いつ咲くのか・・・今年は早いのか遅いのか・・・天候、気温、風・・・ 桜の開花予想に、大げさに言えば日本中の人が、固唾を飲んで見守っているといってもいいでしょう。 これは何も今に始まったことではなく、1200年前の歌にも残されています。 世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 在原業平 伊勢物語82段 (この世の中に全く桜がなかったとしたら、春の人の心はのんびりしたものであったろうに・・・) 咲けば、1部咲きだ、5部咲きだ、といって愛で、お花見を楽しみ、散り行けば、それはそれで、「桜吹雪」として愛する・・・ 伊勢物語はこの歌の続きとして次の歌を載せています。 散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき (あっさり散るからこそ、桜はますます賞美に値するのだ、そもそもこの辛い世の中に、何が永続きするであろうか) 春の訪れを告げる桜は、色も形も大きさも、すべて日本人の感性にマッチするものなのでしょう。 そしてまた、「散り行く姿」の美しさも、ほかの花の追随を許さないほどの魅力があります。 今年また、桜の季節がやってきました。 今年、私は家の近くの桜を愛でに行きたいと思っています。 ![]() (ヨウコウザクラは華やかですね) 2012年 03月 29日
草むらにひときわ目立つ赤い色がありました 透き通る、繊細な赤です ![]() 透過光をとおした葉っぱは特に目を引く美しさでした 旺盛な生命力 人に嫌われようが、「雑草」とさげすまされようが 赤い、透き通る新芽は そんなことにお構いなしに 伸びようとする自分の命を 精一杯春の日差しの中で 輝かせていました 2012年 03月 26日
下校時、小学生がランドセルをカタカタと鳴らしながら、橋の上まできました。 突然、ひとりの女の子が欄干のそばにしゃがみこみ、動こうとしません。 ![]() 「用草を食う」という言葉を広辞苑でひくと次のように出てきました。 (馬が路傍の草を食って進行が遅くなることから)途中で暇を費やす、横道にそれて手間取る この女の子は、道草を食って何を眺めていたのでしょう。 橋の下には春の光を浴びたせせらぎがあります。 風も心地よく吹いています。 小鳥の声も聞こえます。 今の時代、「効率」という名の下に、目的地に以下に早く着くか、いかにまっすぐに行くかが問われているようですが、この女の子はまっすぐに家に帰るのではなく、ちょっと「道草を食って」います。 「効率」より大事な何かを、この子はこの時間で味わっていたのかもしれません。 2012年 03月 23日
生きているって ホラ こんなにうれしいの 生きているって ホラ こんなに楽しいの ![]() 道端で 人に踏みつけられても 子どもたちに 足蹴にされても 犬に おしっこをふりかけられても オオイヌノフグリなんて とんでもない 名前をつけられても でも でも 生きているって こんなたにすばらしい 春のやわらかいそよかぜと 暖かいお日様の光の中で 小さな ちいさな命が 命の歌を うたっている 2012年 03月 08日
お雛様は終わりましたが、私は、お雛様の季節になると思い出す場所のひとつに柳川があります。 「さげもん」と呼ばれる独特な雛飾りでも有名ですが、柳川の「川下り」、「どんこ船」もまた風情のあるものです。 川下りのどんこ船が小さな橋をくぐって行きます。船頭さんの頭がつかえてしまうほど・・・ 狭くて低い橋を潜り抜けぬけなければいけません。ここは船頭さんの腕の見せ所、橋の上では、カメラマンが待ち構えています。 20011,3,19撮影 ![]() 2012年 03月 04日
福岡の舞鶴公園 桜の名所でもありますが、梅園もあります。 それほど大きな規模でもなく、こじんまりとした梅園ですが、ここはなんといっても福岡城の城跡 400年前のお城はほとんど残っていませんが、石垣だけは当時のままいくつも残っています。 私がこの梅の園が好きなのは、その石垣と寄り添うように梅があるからです。 「城跡の梅」 石垣が静かに栄枯盛衰を語る傍らで、梅が待ちに待った春を語っていました。 ![]() ![]() 遠く福岡タワーも見渡せます。 ![]() 2012年 03月 02日
ある日、さっちゃんはおかあさんと、街へ出かけました。いとこのみっちゃんが病気で入院しているので、お見舞いに送ってあげるものを探しにいったのです。 おかあさんはデパートをあちらこちら歩いて、なにがいいかなー、と探しました。ケーキがいいかしら。お花がいいかしら。洋服がいいかしら。おかあさんは一生懸命考えているようでした。 さっちゃんは、ケーキもおいしそう、お花もきれい。洋服もステキと思いました。でも、おかあさんはなかなか決心がつかないようでした。 そのうち、さっちゃんは疲れてしまいました。デパートは人がいっぱいいて、おかあさんの手をしっかりにぎっていないと迷子になりそうです。 ふと見ると、ノートや、お手紙を書く紙などを売っているところに、きれいな紙のおひなさまがありました。さっちゃんが大好きな“飛び出す絵本”のように、折りたたんであるきれいな紙をぱっと開くと7段のおひなさまが飛び出してくるのです。さっちゃんは思わずおかあさんの手を離し、そのおひなさまのところに行きました。 さっちゃんは手にとって開いてみました。すると一番上のお雛様がうれしそうに、さっちゃんの手の中でにっこり笑ったのです。さっちゃん、はびっくりしました。 「さっちゃん、さっちゃん」おかあさんがあわててそばに来ました。「手をはなしちゃダメじゃないの」 さっちゃんはおかあさんに言いました。 「おかあさん、このおひなさま、笑うのよ。さっちゃんに買って」おかあさんはちょっと不機嫌そうな顔をしました。 「紙のお雛様が笑うわけないでしょ。それにおひなさまなら今、おうちに飾ってあるじゃないの。あのお雛様は何十万円もしたのよ」何十万円というところを、おかあさんは特に強く言ったようでした。そばにいた人がふっと振り返っておかあさんを見ていました。 ![]() 「あんな立派なおひなさまがあるのに、なんでこんな紙のおひなさまをほしがるの。さあ、いきますよ」 さっちゃんは悲しくなりました。今家に飾ってある立派なおひなさまも、とってもとっても好きです。でも、この小さな紙の飛び出すおひなさまだって、とってもとってもかわいいのです。なにしろ、さっちゃんに笑いかけてくれるのですから。 でも、おかあさんが見たときは笑っていませんでした。だから、おかあさんはおひなさまが笑うなんて信じないのです。 しばらく行くと、おかあさんが、「そうだ!!」と、すっとんきょうな声をあげました。 「さっちゃん、あの紙のおひなさま、買いましょう。」 おかあさんは急いで引き返すと、店員さんに「そのおひなさま3つください」といいました。さっちゃんはまたびっくりしました。3つもどうするのでしょう。さっちゃんは一つでいいのに・・・と思いました。 でも、店員さんが包んでくれる前にさっちゃんは一つ一つのおひなさまをみました。すると、どのおひなさまもさっちゃんを見て、にっこりほほえんでくれたのです。 さっちゃんはうれしくなりました。 「さあいくわよ」店員さんから紙のおひなさまを受け取ると、おかあさんはそういってさっちゃんと手をつなぎました。 「あのね。おかあさん・・・」さっちゃんがいいかけようとした時、「これはね、」とおかあさんが話し出しました。おかあさんはこのおひなさまを病院いるみっちゃんと、“施設”とかというところにいる、おばあちゃんに送ろうと思ったらしいのです。 家にかえると、さっちゃんはみっちゃんとおばあちゃんに、ひらがなだけのお手紙を書きました。 「このおひなさまは、きっとびょうきをなおしてくれます。はやくよくなってね。」 翌日、さっちゃんはまたおかあさんと手をつなぎ、家を出ました。郵便局におひなさまを出しにいくのです。でも、その前におかあさんはお花やさんに寄って、みっちゃんとおばあちゃんのところにお花を届けてくれるように頼みました。それから郵便局に行きました。郵便局のお姉さんはぽんとスタンプをおしました。さっちゃんはおひなさま痛くなかったかな、と心配になりました。でも、大丈夫だったようです。 桃のはなが全部散ってしまったころ、みっちゃんが退院したと電話がありました。 みっちゃんのママとさっちゃんのお母さんの長い長いでんわがすみ、みっちゃんとさっちゃんが話しましたみっちゃんは小声でさっちゃんにいいました。 「そこにさっちゃんのおかあさんいる?」 さっちゃんが「いないわよ」と答えるとみっちゃんはやっと安心したのかさっちゃんに言いました。 「さっちゃん、知っていた?あのおひなさま、笑うのよ。でもね、それは、私が一人でいるときだけなの。ママが来るとおひなさま、もとのすまし顔になるんだから」 さっちゃんはくっくと笑いました。そうなんです。さっちゃんのときもおかあさんがくると、おふなさまはツンとすました顔に戻ってしまうのです。 「うん。こどもにしか笑ってくれないのね。大人にはダメなの」さっちゃんがそういうと、みっちゃんも「そう、そう」といいました。そしてふたりは楽しそうに電話でわらいあいました。 おばあちゃんからも電話がありました。あのおひなさまがおばあちゃんのお部屋にきてから、おばあちゃんの膝の痛みがなくなったそうです。さっちゃんは「おひなさま笑った?」とおばあちゃんに聞きました。「エッ、なんのこと?」おばあちゃんはいいました。それでさっちゃんはもっとはっきりわかりました。 やっぱりあのおひなさまはこどもにしか、笑ってくれないのです。 おばあちゃんとのでんわが終わるとさっちゃんはおひなさまのところにいきました。おひなさまはにっこり笑ってくれました。さっちゃんは「いつまでも大事に持っているからね」とおひなさまにいいました。 おひなさまはこっくりうなずいたようでした。 2012年 02月 29日
今日は2月29日 4年に一度の閏日です。 そんなことを思いつつ、朝目覚めて窓の外に目をやってびっくり、一面の銀世界がひろがっていました。 豪雪に苦しんでおられる方には申し訳ありませんが、福岡で積雪はめったにないこと、うれしくってついつい庭に出てみました。 雪はとっくにやんでいて、お日様がきらきらと輝いています。 庭の木に積もった雪が、雫となってぽとり、ぽとりと落ちてゆきます。 ![]() 「雪の玉水」・・・・ その言葉と同時に、式子内親王の歌を思い出しました。 山深み 春とも知らぬ 松の戸に たえだえかかる 雪の玉水 新古今和歌集 春上 (あまりにも山深いため、春が来たことすらよくわからない、そんな山奥の小屋の、松でできた戸に、とぎれとぎれに雪解け水が玉のように落ちかかっている) なんという美しい歌なのでしょう! 雪解け水が雫になって落ちるさまを「雪の玉水」という言葉で表現したのです。まねのできない感性です。 式子内親王は今でも人の心を打ってやまないすばらしい歌人ですね。 ![]() 2012年 02月 28日
孫娘が、この春小学校にあがることになった。 私はかなり以前から、息子に「ランドセルは私に買わせてね」とお願いをしておいた(笑) 孫のランドセルを買う、それは「おばあちゃん」の最大の楽しみであり、喜びでもあるのだ。 特に、私がこだわったのは、息子が40年近く前、やはり小学校に上がるとき買った同じお店で買う、ということだった。 親子2代にわたって同じお店でランドセルを買う・・・・ 福岡の老舗のかばん店で買うために、わざわざ東京から福岡に帰省してもらった。 無駄なことかもしれないが、私にとっても、息子にとっても、そしてこのことの意味をいつか知る孫娘にとっても、きっと素敵な語り草になるだろう、そう信じて、孫のランドセル姿に目を細める「オバアチャンバカ」でした・・・・ ![]() 重いぞ・・・・ ![]() うれしくってたまりません。 帰りはそのまま背負って帰りました。 食事に立ち寄ったお店ではウエイトレスさんに「小学校に上がると?」と声をかけられ、ニコニコと答えていました。 ![]() 一つ困ったことは、地下鉄で帰ったとき、駅員さんから「小学生ですか?」と声をかけられ、「小学生なら子供料金をいただきます」といわれたことです。 事情を話すと駅員さんもニコニコと「おめでとう」といってくださいました。 2012年 02月 23日
早春というには 厳しすぎる冬ばれの空に ナンキンハゼが 花びらのように 実をつけていた ![]() 2012年 02月 20日
今日、2月20日は、私が初めてのブログ「一日一枚母への便り」をはじめた日です。 遠くの施設に入っている老いた母へ、自分で写した写真をハガキにして送りました。母が亡くなり、そのブログを閉じてから、しばらくして、「日々の思いを」を立ち上げました。それが満杯になり、現在の「日々の思いをⅡ」になりました。 ![]() (7年前に初めてアップした写真。鹿児島の撮影会でたくあんにするための大根干し、やぐら大根です) 7年・・・・ 長いような短いような・・・ あのころ、ブログが盛んで、特にカメラ仲間との交流は、毎日楽しくお互いブログを訪問しあってはコメントを残し、お互いの感性を学びつつ有意義な時間をすごしました。 今、そのころ交流があった人で現在まで続いている方はほんのわずかです。 多くの方が、ブログの更新がなくなりました。更新される方も、更新の幅は長くなっているようです。 何事も続けていくということは大変なことです。 環境も変わってきます。年もとります。熱も冷めます。マンネリにもなります。続けていく意義を疑いたくもなります。それらを乗り越えて継続していくということはかなりの意志力が必要です。 私のブログ友達は、多くはカメラ愛好家です。 私もそうでしたが、色々なところに出かけ、写真を撮り、それを誰かに見てもらいたい・・・その思いでブログを立ち上げたのだと思います。しかし、7年という年月は思いもかけない方向に人をもっていくこともあります。 私も、もう7年前のわたくしではありません。 17日、「ドレナージ」というエッセイを出しました。 あれは、この7周年を意識してアップしました。これから私がこのブログを続けてゆくのなら、病気のことを隠し通すわけにはいかない・・・・私は以前のように重い一眼を持ってあちらこちらに出かけ、夢中になって写真を撮ることはもう、少なくなってゆくことでしょう。家の中でじっと「文章」を考えているほうが多くなることでしょう。 幸いこのブログのタイトルは「日々の思いを」にしています。 移り行く「時」に感じたことを文章にするのは、私の好きなことです。折々に感じた「日々の思いを」、これからも生きている証として綴ってゆきたいと思います。したがって、私のこのブログは今までとは性格を変え、「文字」の多いブログになるでしょう。 それでもいいと思われる方はどうか、これまでと同じように見てください。 多くの方に見ていただきました。この場を借りてこころから御礼申し上げます。 これからどれほど長くこのブログを続けられるか、それはわかりません。 しかし、なるべくたくさん、《日々の思いを》を記録して残しておきたいと思います。 今、私の胸には一つの小さな夢があります。 今年の春、小学生となる孫娘が成人したあかつき、偶然に私のこのブログを見つけ、「あっ、おばあちゃんだ!」と気づき、このブログを丁寧に読んでくれる・・・・ ブログは滅びません。この世から、私が消えても、ブログは残ります。 本として残すのもいいけれど、今の時代、ブログのほうが邪魔にもならず、周囲の人の迷惑にもならないでしょう。 そんな日の来ることを夢見つつ、このブログはこれからも続けてゆきたいと思います。どうか今までと同じく、よろしくお願いいたします。 ![]() |
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