2009年 06月 15日
アユと松浦川のはなし
七山の湿原を下りると、浜玉町にでます。
ここにおいしいアユや、かにを食べさせてくれるお店があるというので、立ち寄りました。
飴源(あめげん)さんといいます。
創業は天保9年というから古いお店です。

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おいしくいただきました。そこで聞いた話です。

突然ですが、「ここで問題です」(笑)
アユというのは、漢字で書くと・・・・鮎・・・・
ここまではこのブログを見ていてくださる方は全員お分かりと思います。
では・・・アユは、なぜ、魚偏に占うという字をかくようになったのか・・・

そんなこと、考えたこともなかったし、そんなこと考えるほど人生、ひまじゃないよ、といわれそうですが・・・

私も、このお店に来て、美人女将からいわれを聞くまでは全く知りませんでした。

そのいわれとは・・・
神功皇后の時代、 神功皇后が新羅に兵を出すとき、この川で、無事勝利するならば、魚よこの針にかかれ、といって釣り糸を垂れたところ、かかった魚がアユだったそうです。そこからアユは占う魚、で鮎になった・・・とのこと。
面白い話ではありませんか?

私がもっと面白いと思ったのは・・・垂綸石(すいりんせき)のこと。
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ここまで来ると≪わらっちゃう≫しかありませんが、伝説上の人物の足跡が残っているというのは、なんとも楽しい話でした。

今では玉島川と呼ばれている松浦川(まつらがわ)というのは七山から、唐津湾に注ぐ川です。万葉集の時代、太宰府の役人として筑紫に来ていた山上憶良、大伴旅人らがこの川で遊び、たくさんの歌を万葉集に残しています。
飴源の玄関の前にも万葉歌碑が立っていました。
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      玉島の この川上に  家はあれど

         きみを恥しみ(やさしみ)   顕さず(あらわさず)ありき
                              
                                       大伴旅人

ありき、のことろは葉っぱに隠れていて読めませんね。

今の玉島川、万葉の時代とは全く変ってしまっているでしょうけれど、それでも、山上憶良や、大伴旅人がこの川を眺め、この川のほとりで遊び、歌を残したのかと思うと、わたくしもしみじみと川を眺めました。
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by mimishimizu3 | 2009-06-15 07:07 | その他


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