2010年 03月 01日
「天の神様」

バンクーバーオリンピックが終わった。
テレビに釘付けになりながら、私はさまざまな感慨にひたった。

フィギュアースケートの華麗な演技、ジャンプの空を飛ぶ勇姿、スキーをはいたまま空中で何回転もする姿などなど、私とはあまりにもかけ離れた別世界、別次元のできごとである。
100メートル以上空を飛ぶとき、選手には何が見えるのだろう、空中を何回転もするとき、天と地は選手の目にどう写るのだろう。この世の神秘、この世界の美しさを、一瞬の間に体得できるのではないだろうか。そして私は思った。天の神様は、この人たちに卓越した運動能力と運動神経と、そして努力する力をお与えになったのだと。

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天の神様・・・
もし本当に「天の神様」がいるのなら、「天の神様」とは、想像を超えるえこひいきを為さる方である。オリンピックに出られるような人にはこれほどの能力を与え、そして・・・私には・・・
私には・・・悲しいくらい完璧なまでに、運動能力、運動神経を与えては下さらなかった・・・

雪と氷の上の美しい演技をうっとり眺めながら、私は遠い遠い日の出来事を思い出していた。

あれは小学校の何年生のときだったのだろう。
体操の時間、鉄棒で逆上がりをさせられた。はじめの時、できる子は少なかったが、すこし練習をするとどんどんできる子が増えていき、何回目かには、ほとんどの子ができるようになっていた。
一人一人みなの前でさせられたとき、できない子は私とS子ちゃんだけになっていた。体操の時間が終わり教室に帰るとき、私はふとS子ちゃんを見た。S子ちゃんはじっと下を向いたままだった。
次の時間は国語だった。国語は私の好きな科目だった。先生は教科書を読ませた。S子ちゃんが当てられ立って読み始めた。一つの漢字のところでS子ちゃんはつまずいた。先生は「この漢字がわかる人」といった。私は手を上げ答えた。
国語の時間が終わり、給食になった。たまたま給食当番は私とS子ちゃんだった。S子ちゃんは私を完全に無視して仕事をした。食器を片付けるとき、手が滑ったのか、S子ちゃんの持った食器が私に触れた。汁がぼたぼたとこぼれ、私のスカートに流れた。スカートはびしょびしょになった。S子ちゃんは何も言わず、黙って食器の片付けを続けた。

次の週の体操の時間、S子ちゃんは逆上がりができるようになっていた。結局、クラスで逆上がりができないのは私一人だけだった。
クラスメートの嘲りと軽蔑の眼を感じながらみなの前でさせられたとき、私は悲しさと恥ずかしさでいっぱいになっていた。泣きべそをかいた私の目に、ちらっとS子ちゃんの顔が映った。その瞳にはぞっとするほどの冷たさが宿っていた。

あとから聞いた話によると、S子ちゃんは放課後毎日、お母さんに手伝ってもらい、鉄棒の猛練習をしたらしい。

あのときのS子ちゃんの刺すような眼は今でも私の心のまぶたに焼き付いている。そしてその時感じた悲しみと切なさも、私の心の底に沈殿したまま残っている。
人はだれでも、そうした悲しみや苦しみをいくつか持っているのではあるまいか、普通のときはわすれているが、ふとしたとき、思い出す悲しみと苦しみの感情・・・

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オリンピックのすばらしい競技を見ながら、私はついぞ私には味わえなかった世界の広さと深さを想った。雪の白さの中に吸い込まれてゆく快感を想った。
逆上がりだって、もしできていたら、違った世界がみえたのかもしれない・・・
私は、もし生まれ変わることがあるのなら、今度は人並みでいいから、ほんの少しでいいから、私にも「運動能力」「運動神経」を与えてくださいと「天の神様」にお願いしたいと、そんなことをふと思い、同時に、たくさんの感動と興奮を与えてくれたオリンピックに感謝した。

by mimishimizu3 | 2010-03-01 16:02 | エッセイ


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