2010年 03月 18日
金印 万葉歌碑 蒙古塚 志賀島3大話
志賀島(しかのしま)、といえば、なんといってもまず「金印」
国宝に指定されて、今は福岡市博物館に展示されている「漢委奴国王」の金印は歴史の教科書にも出てくるので、多くの方がご存知でしょう。
ただ、この金印、謎とロマンに満ち満ちていて、今でもいろいろな説を唱える人がいるようです。
「委奴」という文字の読み方一つとっても、さまざまな説があり、そこから、この金印を鑑定した学者、亀井南冥(かめいなんめい)の陰謀説まであるとか・・・

まあ、そういうことは歴史マニアにまかせておきましょう。金印をめぐる、面白いミステリー小説まであるようですが・・・

金印公園に立つと、目の前に広がる青い海と、背後の山に歴史の一ページを垣間見たように思います。


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志賀島と博多埠頭を結ぶ、市営渡船だって「きんいん」です。

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2番目の話は「万葉歌碑」です
万葉集の中には志賀島を詠んだ歌が23首もあるそうです。
島のあちらこちらに歌碑が立てられ、それは10箇所にもなります。23首の内訳は山上憶良が10首、あとは遣新羅使、読み人知らずの歌などです。
遣新羅使の人たちは、ここからいよいよ波荒い玄界灘を超えて朝鮮半島に旅立っていったのでしょう。粗末な帆しかない船で、この荒波を乗り越えていかなけらばならない思いはいかばかりのものだったでしょうか・・・
そのとき、故郷に残してきた家族、恋人への思いを切々と歌った歌にはやはり心動かされないわけにはいきません。

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     志賀の白水郎(あま)の  釣し燭せる(ともせる)  いざり火の

        ほのかに妹(いも)を   見むよしもがも

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      志賀の海人が、釣りをしてともしている、いさり火のように
       ほのかにでもあの娘を、みるすべはないものかなあ・・・     



3番目の話は蒙古塚

ここまできて、昨日の「これはなんでしょう」の答えにたどり着きました。

元寇・・・この言葉は今は教科書では使ってはいけない言葉だそうですが、福岡では今でも「元寇」がまかりとおっています(笑)「元寇資料館」だってちゃんとそのままの名称です。
元寇、第2回目の襲撃のとき、つまり弘安の役」(1781)、志賀島はかなりの襲撃を受けました。けれど、蒙古軍は玄界灘に吹き荒れた暴風のため、船は翻弄され、ばらばらになりました。多くの兵士が死にました。
戦いが終わって地元の人が蒙古兵のなきがらを手厚く葬ったのが「蒙古塚」のはじまりだそうです。
今は立派に整備され、史跡の一つになっています。
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昨日の答えは元寇のときの蒙古船の碇石でした。
今から700年以上も前の戦いの名残なのです。
地元の人に教えていただいてわかりましたが、海岸線を歩くといくつも見つけることができました。
歴史っておもしろいですね。


そしてきょうの おまけ
帰りの船(きんいん3号)の上から見た能古の島。
最近、この島で痛ましい事件が発覚しました。
こんな平和で、美しい、静かな島にはふさわしくない事件です。
事件の一刻も早い解決と、被害者のご冥福をお祈りいたします。
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by mimishimizu3 | 2010-03-18 17:55 | 福岡


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