2010年 04月 05日
無縁社会

NHKテレビで「無縁社会」という番組を放送していた。
今、日本は、地縁、血縁、社縁もくずれ、それらすべてに落ち込んでしまった人が、誰にも看取られず、孤独のうちになくなっていくケースが増えている、という内容のものだった。
地域にも溶け込めず、家族もなく、社会との接点が切れてしまった人は老後をどう過ごしているのだろうか・・・
重い現実の映像を見ながら、私はある人のことを思い出していた。

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その人とはじめて出会ったのは、まだ寒さの厳しい冬の日だった。
その日、私は午後からどうしても出席しなければならない会合があり、それは夕方までかかることが予想されたので、午前中に買い物を済ませ、夕食の下ごしらえをし、と段取りを立てて、スーパーに買い物に行った。
鮮魚売り場で、私は色鮮やかなサーモンを見ていた、チリ産との表示、行ったこともない国から来た魚を見て、私は手を伸ばした。バター焼きにして、自分で作ったタルタルソースをたっぷりかけて食べるのが私は好きだ。
「それ、どうやって食べるのですか・・・」
その声に振り向くと、80代と思われる身だしなみもきちんとした、品のいい女性が私に話しかけてきた。
私は一瞬、この年代の女性はサーモンなどあまりなじみではないのかな、と思い、「これは・・・」と私の拙い料理の知識を述べた。
バターで焼いて、ソースを作って・・・といったところで、女性は私の言葉をさえぎるように、いきなり「私84歳なんですよ」といった。
私はぎょっとした。別に年齢を聞いたわけでもない。料理法の途中で、年齢を言い出す必要はまったくない。
が、そのあと、女性は「私、一人住まいなんです。いえ、家族はいるんですよ。息子がね。東京にいるの。その子はね、○○大学を出てそのまま東京で就職して・・・○○商事ですよ、一流企業、それでそこで知り合ったお嬢さんと結婚して・・・」
女性は堰を切ったように身の上話をしゃべりだした。息子は立派に育った。しかし、今、音信はほとんどない・・・
そこまできて、私はやっと理解した。
この女性が私に話しかけてきたのはサーモンの料理法を教わりたいからなんかではない、ただ、誰かとおしゃべりしたかったのだ、ということを。

しかし、そのとき、私はその女性のおしゃべりに付き合っている時間はなかった。
午後からの予定が頭をよぎり、私は丁重に挨拶をしてその人のそばを離れた。

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私が彼女と2度目に会ったのは、それから1ヶ月もたったころだったろうか。
私の家からは歩いていける距離にスーパーが3軒あり、その日の気分によって使い分けている。
花粉症の季節に入り、私はマスクにめがね、帽子と『花粉症3点セット』で別のスーパーに行った。
精肉売り場の前で、何にしようかなと迷っていたとき「今夜のおご馳走はなんですか・・」と誰かに声をかけられた。あわてて振り向いて私はあっ!と声を上げそうになった。
そこには、サーモン売り場で私に話しかけてきた女性がにこやかに立っていた。

「私もね、何にしようか迷っているのですよ。私はね、今84才なんですけどね、ひとり分作るのも億劫で・・・いえ、家族はいるんです、娘がね。○○県に嫁いでいるんですよ・・・」
女性は今度は娘自慢を始めた、娘もちゃんと大学を出し、一流企業に勤めて、そこで見初められて、いいところのお坊ちゃんと結婚して・・・
堰を切ったように女性は問わず語りに自分のことを話し続けた。
娘も立派に育った。『いいところ』の人と、結婚もした。しかし、娘も今はほとんど電話もしてこない・・・私は「そうですか・・」と相槌を打ちながらも、延々と続く身の上話を複雑な思いで聞いていた。

誰かと話したい、それは人間の基本的欲求なのだろう。
息子もいて、娘もいる。でも、孤独感は癒されない。いや、息子や娘がいるだけに、より深い孤立感に襲われるのではないか。

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無縁社会、そんな中で、スーパーで話しかけられたら、時間が許す時は、聞き役に回るのも一つのボランティアかもしれないと思いつつ、いつか、私もスーパーで誰かに話しかける老人になっているのだろうか、と背筋がぞくっと寒くなった。

by mimishimizu3 | 2010-04-05 12:20 | エッセイ


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