2010年 04月 12日
すみれ
万葉集に次の歌がある。

   春の野に すみれ摘みにと  来しわれぞ

    野をなつかしみ  一夜寝にける

                 山部赤人 万葉巻8 1424

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高校の国語の教科書に載っていたこの歌をはじめて見たとき、私は二つのことに、えっ・・と思った。
一つは、すみれって、万葉集の時代にもあったの・・という驚きであり、二つ目は、「一夜寝にける」なんていったって、野原で一夜を過ごしたら、さぞ寒いだろうな、という思いだった(笑)

すみれという言葉の響きは、サ行、マ行、ラ行であり、サ行で始まる言葉はなぜか、さわやかな印象を与えるものが多いように思う。
す、み、れ、という発音は清涼感を私に与えてくれる。それはどこかエキゾチックであり、遠い憧れを呼び覚ますようだ。
あとから考えると、それは多分に、『宝塚』のあの有名な歌、

すみれの花 咲くころ
 初めて君を 知りぬ・・・

という歌に影響されていたのかもしれない。
この歌は、とても、おしゃれであり、ハイセンスであり、都会的である。
そんなこともあって、私は、すみれというのは、遠い、遠い国からいつごろかやってきた夢のような花、という勝手な思い込みを持っていたのだろう。万葉集の昔から、日本に自生していたというのは、私にはちょっと驚きであった。

もう一つの疑問、野原で一夜寝たら寒いだろうな、という思いは、その後、ある説を知ることにより、解消されていった。
それはこの歌を、「すみれ」を摘みに野に出た、というのではなく、すみれを女性の《暗喩》として使っているのだ,と言う説だった。
田舎に、すみれをおもわせるような素敵な女性がいた。その女性と別れがたく、一夜をともにしてしまった・・・・

この説はもっともらしく、説得力もあるといえよう。

しかし・・・・
この歌は、すみれを、そのまま花の「すみれ」としておいたほうが、美しいのではあるまいか。
万葉の昔は、すみれを山菜として食用にもしていたらしい。
寒い冬が去り、春が来た、さあ、春の野に出かけよう・・・
野に出て、すみれを摘んだ・・・なんというそのさわやかさ!
赤人は、やっとやってきた春を楽しみ、春の野に出て、実際は一夜寝ることなどはなくとも、一夜をそこで過ごしたいほどの心の高まり、喜び、感動、それら「一夜寝にける」としたのではあるまいか・・・

すみれ、この楚々とした花は、昔から人々の心を捉えて放さなかった。しかし、すみれは実際はとても、とても強い花である。
道端にも、コンクリートの割れ目にも勢力を伸ばしている。

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そんな強さを秘めながら、たくさんの人に愛されているすみれ、それはやはりこの花のかわいらしさ、可憐さが我々の心に訴えてくるからであろう。
そういえば、芭蕉も有名な句を詠んでいた。

  山路来て  なにやらゆかし  すみれそう

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by mimishimizu3 | 2010-04-12 10:40 | エッセイ


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