2012年 02月 17日
ドレナージ
庭に降り立つと、ふっと、やさしい香りが漂ってきた。
梅がほころび、やっと花を咲かせたのだ。
私はこの家に越してきて間もないころに植えた梅の木を見上げた。私よりずっと小さかった木が、30年以上たった今では見上げるような木になっている
白い優雅な花の香りをかいでいるうち、私は昨年秋、やはり木の香りに癒されたことを思い出した。

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そのとき、私は自分の体に何が起こっているのか、まったくわからなかった。
胸が苦しい、息が苦しい、痛い・・・急激な変化に私の意識も感情も付いていききれなかった。
痛みのあるときは横になって休んでいれば、少しは痛みも軽減されるのが普通なのに、あの時は、横になっても立っていても、座っていても、どこをどうしても痛みは取れなかった。
翌日、予約外であるにもかかわらす、かかりつけの大学病院に駆け込むと、すぐレントゲンを撮られ、そこから、あわただしく、即入院ということになった。

肺に水がたまり、その水も半端な量ではなく、レントゲンで肺がまったく見えないほど、おそらく4リットルから5リットルはあるだろうということだった。
病室に移されると、ばたばたと数人の男性が集まり、私はベッドに寝かされた。そのとき集まったのはその病院の専門の医師たちであった。一刻を争う緊急事態発生ということで急遽集められたということを、私は後から知った。
その時、これも後にわかったことだが、私の担当医となった一人の医師が興奮して、付き添っていた家族に言った。
「子どもさんはいるのですか、いるのだったら、すぐに連絡して来るように言ってください!」
それを聞いて、私は「えーー」と思った。
私はここで死ぬの?・・・・息子たちがあたふたと飛んできて、病院にかけつけ「おかあさーーん」といって私の手を握り、私はその手に握られてテレビドラマの主人公のように、目を閉じて死んでいくのか・・・・そんなシーンを頭に思い描いても、私にはどうもぴんとこなかった。

そして、たしかに私はそこでは死ななかった。

張り詰めた、緊張した空気が部屋いっぱいに流れていた。
が、あと数名の医師は沈着冷静だった。
ドレナージと呼ばれる重厚な機器がベッドの横に置かれ、一人の医師が言った。「これから、肺に管を通して、水を抜いていきますからね、ちょっと痛いけど、我慢してくださいね」
管がわき腹に持ってこられた。私は恐ろしくなり、「血が飛び出るのですか?」と聞いた。
医師は「ドラキュラの吸血鬼、ではありませんよ、水を吸い取る機械ですよ。血もちょっとは出ますけどね、だからちょっとは吸血の機械かな?・・・」
そのユーモアに、張り詰めていた部屋の空気がいっぺんに和らいだ。私もふっとほほが緩み、緊張も少しほぐれた。

私は部分麻酔をかけられた。全身麻酔ではなかったので、私は自分の横腹に管が挿されていくのをじっと見詰めた。
それは確かに「ドレナージ」というしっかりとした医療用機器ではあったのだが、自分のわき腹に管が挿されていくのはまるで電気ドリルでわき腹に穴を開けられているようだった。

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(ドレナージでつながれたところ)

こうして、私は機械と管でつながれ、ベッドに横たわった。そのときは、夢の中にいるようでで、管につながれるということがどういうことなのか、私にはまったくわかっていなかった。
自由がきかないということが、何を意味するのか・・・・
それを思い知るのは、数時間経ってからであった。

数時間後、麻酔も切れてきて痛みに耐えている中、私は尿意を催した。そしてあっと思った。
トイレはベッドの1メートル先にある。しかし、私は動くことができない。1メートル先のトイレに行くことができないのだ。
私はベッドの中からトイレのノブを見詰めた。たった1メートルの距離が、そのときの私には永遠に届くことのない、長い距離に思われた。
どうしよう・・・・
私は不安いっぱいになり、恐る恐るナースコールを押した。
「ハイ、どうしましました?」
すぐやってきた看護師に、私はささやくように言った。
「トイレに行きたいのですが・・・」
看護師は「ハイ、わかりました」あっさりそういうとそのまま部屋を出て行った。
しばらくして部屋に戻ってきた看護師は両手で大きな白いものを持っていた。
ポータブルトイレであった。

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 (ドレナージという器機、1リットルの水が入る容器があり、そこに血の混ざった赤い水がいっぱいにたまっているのがわかります。鼻には酸素吸入が付けられています)

「人間の基本的尊厳」という言葉がある。
人間が人から犯されたくない、基本的人権ともいえよう。周囲から存在を否定されたり、無視されることも人間としてはつらいことだ。
それと同じくらい、下の世話を人にしてもらわなければならないことも、「人間の基本的尊厳」を痛く傷つけられるものだということを、私は体験して初めて知った。
しかし、そんな贅沢は言っていられなかった。生理的現象の前で、人間の「尊厳」もなにもないのだ。
私は看護師に助けられ、ベッドから起こしてもらい、やっとポータブルトイレにすわり、用をたした。人間って弱いものだとそのときしみじみと思った。

人間は弱い、けれど、一方、神様は人間に「順応」という、特技もまた授けてくれているのかもしれない。
私はポータブルトイレにもすぐに慣れていった。

入院生活もかなり経つと、病院のさまざまな仕組みもかすかにわかってくるようになる。
看護師といってもさまざまなランクがあることや、看護が上手な人、心の痛みに寄り添ってくれる看護師、その一方、思いやりのない看護師もいることなど、さまざまなことが見えてくる。
そんな中に「助手さん」呼ばれる人がいた。普通の看護師は白いユニホームを着ているが、「助手さん」は薄いブルーの制服であった。看護は一切しないで、おもに、お茶やお水を持ってきてくれたり、配膳の仕事をしているようだった。丁寧な仕事振りで、無駄なことは言わないけれど、やさしい人柄であることはすぐに察せられた。

病室の中は一定の温度が保たれ、外の空気が初秋から中秋に変わっていることも私にはわからなかった。季節が移ろっていることは、時々テレビに映し出される草花で知るしかなかった。

ポータブルトイレに慣れたとはいっても、やはりかなり心の負担にはなっていた。とくに、大をした後の始末には閉口した。窓を開けて部屋の空気を入れ替えてもらっても匂いは完全には消えない。
病身には、外気を長い間いれるのは、それも耐えられなかった。季節は確実に進み、秋も半ばになっていて、外気はかなり冷たくなっていたのだ。
そんなとき、食事の時間になると、もう何重もの苦痛を背負うようだった。
あるとき、やはり運悪くまだ匂いの残るとき、食事の時間になった。
助手さんが食事を持って部屋に入ってきたとたん「あらっ」といった。
窓を開け、空気を入れ替えてもらい、私は惨めな思いで食事に箸を付けた。食べなければならない、体力を付けなければならないのだ。
そんな私を助手さんはちらっと眺め、「あとでまた来ますね」といってそのまま部屋を後にした。

翌日、ノックして部屋に入ってきた人を見て、私は一瞬誰かわからなかった。私服の助手さんが、にこにこと微笑みながら、新聞紙につつんだ何かを私に差し出した。
とたんにいい香りが匂い立った。木犀であった。
「家に咲いたんです。花瓶も持ってきましたよ」
そういって、助手さんはテーブルの上に花瓶を載せ、木犀を生けてくれた。
ふくよかな香りが部屋いっぱいに拡がった。
それは単に木犀の香りだけでなく、人の心のやさしさをも漂わせてくれる香りであった。私は、木犀の香りがこんなにも人の心を揺さぶる、すばらしい香りであったのかと、涙がこぼれるほどの感激をもって、花に顔を寄せた。

その後、私は順調に回復し、退院するまでになった。

助手さんと、あの木犀の香りは私の心にしみこんだ。
秋が来て、木犀が香るころになると、私はまた、あの「助手さん」を思い出すだろう。

春を告げる、梅の香りにつつまれて私は、昨年の秋の香り、木犀と助手さんをなつかしく思い出している。
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by mimishimizu3 | 2012-02-17 12:09 | エッセイ


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