2012年 06月 13日
大地の二人
 家の近くの小さな医院で、ある点滴をしてもらうこととなった。

 待合室に入ると、すでに何人もの人が椅子にすわり、無表情のまま、黙って虚空を見詰めていた。重苦しい空気があたりを支配していた。
 そんな時、どやどやっとにぎやかな声とともに高齢の女性が二人、いっしょに入ってきた。
 どうやらこの先にある田園地帯からやってきた、農家のおばさんのようである。
 一人は腰が60度近く曲がり杖を付いていた。もう一人はやはり日に焼けた厚い皮膚の顔に深いしわを刻み、背中はせむしのように湾曲していた。
 二人は「よっこらしょ」と同時に声を出すと椅子に座り、あたりをじろじろとみまわした。そして隣の人に「飴いら んとね?」と声をかけた。
 声をかけられた高齢の男性はいかにも迷惑そうに「いらんとよ」とぶっきらぼうに答え、そっぽを向いた。
 待合室の空気ががらっと変わっていくのがよくわかった。

 私はすぐに呼ばれ、待合室から伸びている廊下をとおり、つきあたりの「処置室」に案内された。そこは簡単なベッドが幾つか並び、移動式の、これも簡単な間仕切りのカーテンで仕切られていた。

 私は、窓際のベッドに休むよう言われた。ベッドからは庭の木々も見え、空を行く雲も見えた。
 手に点滴の管が通され、私はぼんやりと窓の外を見ていた。
 しかし、私がぼんやりと雲を眺めているまもなく、隣のベッドがにぎやかになった。
 どうやらさっきの農家の女性が私の隣のベッドに入ったらしい。
 「よっこらしょ!」という元気な声が聞こえ、同時にもう一つ向こうのベッドにも、もう一人の女性が入ったらしく、「このベッド高かねえ・・」という明るい声が聞こえた。

 私は目を瞑った。否応なく、隣のベッドもその向こうのベッドの声も筒抜けに聞こえてくる。正直のところ、はじめは参ったな、とおもった。
 静かに空行く雲でも眺めながら1時間の点滴をやり過ごすつもりだったのに、これではにぎやかなおしゃべりにつき合わさざるを得ないだろう・・・

 しかし、聞くともなく聞こえてくるその元気な農家の女性たちのおしゃべりは決していやなものではないということがすぐにわかった。自分が育てている野菜の話し、虫の話し、花の名前の話し・・・それらはすがすがしく、いつの間にか私は聞き耳を立てていた。

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 そして、話しは佳境に入っていった。

 「それはそうと、あんたくさ、きのう娘さんの車でどっかいかんしゃったろうが、どこにいかんしゃったとね?」
 「ああ、ドライブったいね。ムスメの車で天神ばいったとよ」
 「天神・・・よかねえ・・・して、天神でなんばしごしゃったと?」
 「そしゃあ、あんたくさ、天神ばいったら、《ショッピング》だろうが・・」

 私はフフフ・・と笑い出しそうになった。
 文字だけでは絶対に伝えることはできないが、彼女は《ショッピング》の箇所を、あたかもトランポリンをするように、《ショ》のところをゆっくりとそれでも力を込めていってから、《ピング》のところを高く空にでも放り上げるようにアクセントをつけいったのだ。
 それはまるで生まれたはじめて《ショッピング》をする子どもの楽しさとうれしさが凝縮されているかのようないいかたであった。
 これはまさに漫才ではないか、期せずして、この二人は漫才をしている・・・そして、話しはいよいよ大団円、落語でいえば、「オチ」の部分に入っていった。

 「ショッピングねえ、よかねえ・・して、なんばこうたと?」
 「そらあんたくさ、内緒ったい」
 「こすかあ・・!・・・」

 そこまで二人の会話が弾んだとき、その会話が聞こえていた看護師や事務の人や付き添いの人などみながいっせいにハハハ・・・と声を出して笑い出した。
 私も思わず引き込まれて笑ってしまった。一陣のさわやかな風が吹き抜けていった。

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 なぜ、「内緒ったい」「こすかあ・・」がそれほどおかしいのか、それは福岡以外の人には少々説明が必要かもしれない。

 福岡に長谷川法世さんという漫画化がおられる。その方がご自身の実写と、長谷川さんが書かれた漫画のキャラクターとで、博多の銘菓のCMにでておられるのだ。評判のいいCMなのだろう、もう何年も続いているCMである。それは博多の守り神、櫛田神社で長谷川さんと漫画のキャラクターがお祈りをし、「法世さん、なんばおいのりしたとね?」というキャラクターに長谷川さんが「そりゃあ、ないしょったい」という。すると漫画の男の子が「こすかあ・・・」というのである。そこで長谷川さんが「まあ・・この〇〇でもたべんね」といって銘菓を差し出すのだ。
 つまりこの農家の二人は最期のオチをこのCMそのまま使ったことになる。
 それだけでも、かなりのウイットとユーモアセンスがなければできないことではあるまいか。
 このお二人は、頭の回転も速く、笑のコツを心得ている。

 大地を耕し、大地とともに生き、大地を愛し大地から愛されてきた二人、おそらく、「自然」に逆らう愚かしさを骨身を持って知り、「自然」を受け入れ、「自然」ともに生きてこられたにちがいない。顔の深い皺はその証でもあろうが、二人の女性のなんと屈託なく、底抜けに明るいことか!
 腰が曲がり、背中がまがり、医院に来るようになったということは、どこかからだの不具合が生じたからにちがいない。しかし、そんなことも、この二人にとっては「自然」の成り行きなのかもしれない。愚痴ることもなく、大騒ぎすることもなく、淡々と自分の「運命」を当たり前の「自然」として受容しておられるのにちがいない。

 私は、病気になってからの自分を省みた。めそめそしたこともあった。何で私が?・・と天を責めたこともあった。
 でも、そんなことがなんになろう。
 この二人のように、病気のことなど忘れ、からっと明るく「自然体」で生きるのが一番なのかもしれない。

 窓の外は初夏のさわやかな空気がながれていた。
 私は声なき声で二人に「ありがとう!」といってベッドを離れた。

by mimishimizu3 | 2012-06-13 12:01 | エッセイ


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