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2008年 04月 05日
アノー君と慶州桜マラソン
     数年前に書いた文章です。よろしかったら読んでください。


 福岡空港国際線の、韓国プサン行きの飛行機は、平日にも関わらず、結構込んでいた。
 福岡から、プサンまでは約40分。東京に行くよりずっと早い。
 私は、手荷物は少ないし、上の棚にあげるまでもないかな、と思ったが、それでも一応開いている棚を見上げた。背の低い私には、飛行機の棚は苦手だ。

 その時、「ここに入れましょうか」と、声がした。振り向くと、きちんとした身なりの青年が、私の荷物を指差していた。
 その青年を見たとたん、私はアッと思った。どこかで会ったことがある。でも、誰だか、どこであったのかわからない。その青年も私と眼が会うと、やはり一瞬アッと思ったらしい。でも、彼のほうも思い出せないでいるらしかった。
 「ありがとう」。そう言って荷物を入れてもらうと、私は座席に座った。青年も私の隣に座った。なんとなく、心がザワザワする、居心地の悪い、落ち着かない気分だった。

 私は前の座席のポケットにある機内誌を取り出し、見るともなくパラパラとページをくった。
 そこには見事な桜を写したグラビア写真があった。それは東北の桜の名所を紹介するものだった。
 「アッ!」隣の青年が素っ頓狂な声をあげた。全く同時に私も「アッ」と声をあげた。そして、二人は同時に向き会うと「あの時の・・・」とお互いを指差しあいながら、お互いの顔を見つめあった。

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 それは数年前の春だった。私は手にしたばかりのデジカメが面白くてたまらず、手当たり次第撮りまくっていた。
 その日も、「花は朝日で撮るのが一番きれいなのよ」と教えてくれた友人の言葉を信じて、まだ人気の少ない公園に出かけ、夢中になって撮影していた。その時間でも、もう夜の宴会用の場所取りのロープが張られ、青いビニールシートも用意されていた。
 「アノー」
 その声にはっとして我にかえると、一人の青年が、ビニールシートの端にいた。
 「アノー、すみませんが、土足でふまないでいでもらえませんかあ・・」
 私はびっくりした。いつの間にかビニールシートを踏んでいたらしい。あわてて、シートから離れ、「ごめんなさい」と丁寧に謝った。

 私はそこに人がいるのにもおどろいたが、その青年の言い方がいかにも間延びしているのにも驚いた。
「アノー。いいんです。」
 そして、青年は間延びしたままの言い方でまじまじと私の顔を見ながら言った・
「アノー、写真面白いですか」
「エッ」
 私はとっさに言葉を失った。なんのことだろう・・・
「アノー、さっきから、なんだか夢中で撮っているようだったから・・・」
 そして、青年は自分の言葉をかみしめるように続けた。
「アノー・・そういうのってすっごくいいなーと思って」
 
 私はむしろその青年の言葉に戸惑った。若さ溢れる時代を生きているはずの若者からそんな言葉をかけられるとは・・・
 私はきょとんとしてしまっていたのだろう。その私の表情を読み取ったのか、青年はすこしはっきりとした口調でいった。
「アノー。自分は何にも夢中になれるものないんスよね」
 そしてさらに驚くべき言葉を続けた。
「自分なんて、生きていてもいなくてもいいのかなーなんて・・・」

 私はカメラをしまい、その青年の顔をまじまじと見た。
 なんだろう、この子は。朝日がこんなに美しい春の朝、満開の桜の下で、生きていていいのか、などということを、数分前出会ったばかりの私なんぞに言っている。

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 いつの間にか、どことなく間のぬけた、それでいて繊細な、この青年を私はほっておけなくなっていた。
 シートに座り込み、私たちは話し込んだ。聞いてみると、高校中退で、フリーターをしているとのこと、「このシート張りもアルバイト先でやらされたんだけど・・・面白くないんすよね、何もかもが・・」
 青年は自嘲気味にそういった。
 もっと良く聞いてみると、中学時代は陸上部の選手だったらしい。「走るのは好きやったんですけどねー。でも今はもうかったるいし・・」
 それを聞いて、私はただ、走るのが好きなら、走ったら、としか言えなかった。
 たった今あったばかりの私が、それ以上の何がいえよう。
 そうして私たちは別れた。

 「あの時の!」。同時に出た言葉に私たちは思わず笑い声をたてた。
 青年はすっかりたくましくなっていた。
 「慶州さくらマラソンに行くんですよ。あの時、走るのが好きなら走ったらっていわれて、それからまた、少しずつ走りだしたんですよ。そしたら面白くなって・・・慶州マラソンにも去年も出て、もうサイコー」。
 青年は20万本の満開の桜の下を走る慶州さくらマラソンの素晴らしさを熱っぽく語った。そこには数年前のだらだらとした青年の面影は微塵もなかった。今はバイトもちゃんとしているとのこと。「なにしろ、マラソンに出る旅費を溜めなくっちゃいけませんからね」そういって青年ははにかむように笑った、その横顔は輝いていた。

アノー君と慶州桜マラソン_f0103667_2130441.jpg


 「グッドラック!!」
 プサンの空港で別れる時、私は青年の手を強く握った。青年も強く握り返した。
 「慶州さくらマラソンは5キロ、10キロのウォークもあるんですよ。来年あたり参加しませんか」青年は言った。
 そうか。それもいいなー。
 私は20万本の桜が咲き誇る、日本で言えば奈良と同じようだと言われている韓国の古都、慶州の桜並木を道を歩く自分の姿を想像した。いいなあ・・いつか近い将来、慶州の桜ウオークに参加してみようか・・
  私は自分の心がホコホコと温かくなっていくのを感じていた。

by mimishimizu3 | 2008-04-05 21:34 | ショートストーリー


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