2008年 11月 19日
古賀政男記念館
昨日、11月18日 火曜日 夜8時
テレビから「火曜の夜は歌謡コンサート」という元気のいい声が聞こえてきました。

私は演歌はどうも苦手なので,この番組もi普通見ることはないのですが、ふと「今日は古賀政男の名曲の数々を・・」というアナウンスに、エッツ・・・

そういえば、8月末、仕事で大川に行くことがあり、せっかく大川まで行くのなら少し早めに出て、大川の町を歩いてみようと、愛用のオリンパスカメディアのコンデジC770を持って一人で古賀政男記念館を訪ねたことがあったのです。

大川市は福岡市からそう離れてはいないのに、行ったことはありませんでした。
家具の町として栄えたところですので、、タンスや下駄箱といった家具が売れなくなって、町は寂れているという話は聞いていましたが、実際に歩いてみて、これほどまでなのか!と愕然といたしました。
地方の衰退が言われて久しいですが、たしかに、ここも衰退しているな、というのが実感です。

そんな大川の中で、次回紹介いたします「昇開橋」とこの古賀政男記念館だけが大川の「名所」といえるのでしょう。


古賀政男記念館入り口
ギターを抱えた古賀政男銅像が迎えてくれました。
近づくとセンサーが感知するのでしょう、古賀メロディが流れてきました。
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ト音記号
駅で道順を尋ねた時、「ト音記号があるからすぐわかりますよ」といわれました。
なるほど、目立ちます。
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生家
記念館は生家のならびに作られています。
本当の生家は、奥の藁葺きの家だけだったのが、成功を収めてから今のように建て増しをしたのだそうです。
藁葺きの家は狭く、ここで幼少期を過ごした少年が、日本中に知られるメロディを作る作曲家になっていったとは、驚きです。
幼少期、音楽教育などはまったく受けてはいないのに、絶対音感が備わって生まれてきた人っているのですね。
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ゆかた
生家の壁に「古賀政男」と染め抜かれた浴衣がかかっていました。
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大川で出会った方は全員が古賀政男のことを「古賀先生」とよんでいました。今でも、ここでは皆さんに愛され大事にされています。
たしかに、古賀政男のメロディは、日本人の心の中にすっぽりと入っていっているといえるでしょう。でも、一方、若い世代からは「古賀政男って誰?」というこえもあるとか・・・これは記念館の方がおっしゃっていた言葉ですから、うそはないでしょう。これから古賀メロディがどこまで歌い継がれていくか。。。
町の荒廃をバックにそんな事を考えました。

by mimishimizu3 | 2008-11-19 08:55 | 福岡


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