カテゴリ:エッセイ( 41 )

2011年 11月 26日
シクラメンのかほり
「シクラメンのかほり」という歌がはやったのは、もう30年以上前のことだろう。

そのころ、用事ができ、実家に帰ったことがあった。
玄関を開けても、何の応答もなく、居間に上がると、祖母が一人丸いちゃぶ台に手を置き、ぽつんとテレビを見ていた。
そこには、布施明氏が「シクラメンのかほり」を歌う映像が写っていた。祖母はその歌声に耳を澄ませ、私が来たことも気づかなかったのだ。
私もその歌が終わるまでじっと祖母の傍らで見入っていた。歌が終わり、私は「おばあちゃん・・」と祖母に声をかけた。
その瞬間、祖母はまるで10代の少女のように、はにかむ様な、照れるような、ちょっとさびしげな表情を見せ「あら・・・」といった。
そして、照れ隠しをするように、「いい歌だねえ・・・」としみじみと言った。

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「シクラメンのかほり」、これは何十年経っても古びない名曲であろう。
メロディはいうまでもなく、歌詞も、歌い手もうまく、今聞いても静かな感動が心にわいてくる。
特に私は「疲れを知らない子供のように、時が二人を追い越してゆく・・」という歌詞には驚かされた。「時」を表すのに、「疲れを知らない子供のように・・・」というような発想はどこから生まれてくるのだろう、と思ったものだ。

祖母はそれから数年して亡くなった。
ちょうど晩秋の、シクラメンが花屋の店頭に並ぶころのことだった。
私は花屋にシクラメンが並ぶと、ついつい祖母を思い出し、一鉢買ってしまう。

今年もまた、シクラメンの季節になった。
抱えて帰ったシクラメンを居間に置くと、私は祖母に語りかけるように「おばあちゃん・・」といった。
そして、祖母に聞いてもらうように「シクラメンのかほり」をそっとくちずさんだ。あのときのはにかむような、照れるような、少女のような祖母の顔が目に浮かんだ。

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by mimishimizu3 | 2011-11-26 15:33 | エッセイ
2011年 11月 19日
波の音
病気で伏せっていたとき、息子が縦10センチぐらいの、小さな、本当に小さなi・podを持ってきてくれた。
私は,I・podなど使いこなせないけれど、ただCDの代わりに音楽を聞くことにしたのだ。
その中には、こんな小さいものの中に、これほど入るの?というくらい、クラシックをはじめ、様々なジャンルの音楽が入っていた。が、ふと「自然音」というジャンルがあるのに目が止まった。
それは風の声や、木々のそよぎ、谷川のせせらぎ、浜辺にうち寄せる波の音、小鳥のさえずりなどであった。

私は、音量を低くして、波の音を聞いた。

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ザー、ザーと、うち寄せては返るだけの、単調と言えばいえるその「音」は、しかし、なぜか打ちひしがれていたその時の私の心を、ふっと和ませてくれた。
深い海の底で、ゆったりと揺られているような、遠い昔、どこかに聞いたことがあるような・・・・
そうか!と私は思った。
この心地よさ、優しさは、母の胎内の、「羊水」にいたとき感じていたものと同じなのではないか・・・
写真で見る「胎児」は母の羊水にくるまれ、まるまっこくなっている。今の科学は、そんな胎児でも音も聞こえているということがわかっているらしい。
あの時聞いた「羊水」の音はこのさざなみに近いものだったのかもしれない。

「命」は46億年前、海の中で誕生したと聞いたことがある。
46億年という時間がどれほどのものか、想像はできないけれど、46億年前、海の中で生まれた、ちいさな「命」が、今も、人類すべての人間の、DNAのなかのどこかに潜んでいるのかもしれない。

海は、時に凶暴になり、3.11のようなことも起こすけれど、でもやはり海は、すべての命の源であり、ふるさとなのだ。

夜寝るとき、私はそのi・podを枕の下にいれた。
静かな、やさしい波の音がかすかに耳元に響いた。

全てを受け入れ、全ての運命を許し、全てを認めようと思った。

by mimishimizu3 | 2011-11-19 09:24 | エッセイ
2011年 11月 10日
明日を信じて
2011・3・10
日本人のいったい誰が、翌日、2011・3・11に起こる未曾有の大災害を予想しただろうか。
あの、大災害が起こる瞬間まで、おそらくすべての人は、今この瞬間の次には今の続きの瞬間が来て、今日の続きには明日があると信じていたのだろう。

いや、「信じる」とか、「信じない」というようなことではないかもしれない。
それはあまりに「当たり前」のことであって、だれも、そんな当たり前のことを頭の隅に置くことさえしなかったはずだ。

いったい誰が、次の瞬間、思いもかけない大災害が起こるかもしれないと怯えて生きていけようか。
昔、中国の杞の国の人が、天が裂け落ちてこないかと憂えたということから「杞憂」という言葉ができたと教わったことがあるけれど、今度の災害は、天ではないけれど、海が牙をむき、海の水が「山」となり、人々を襲った。「杞憂」は人事ではなかったといえよう。

しかし・・・・

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今日という一日がくれてゆこうとしている。

空は赤く燃え夕映えの中、夫婦岩はしっかりと注連縄で結ばれている。

明日は・・・・

明日を信じたい

人生の不条理、運命がいかに過酷であったとしても、この美しい自然の前では、やはり、「明日」を信じたい。

明日の命を
明日の愛を
明日の絆を

そして
明日の平安を・・・・

美しい自然の前で、ただ、ただ、祈りたい

by mimishimizu3 | 2011-11-10 09:40 | エッセイ
2011年 10月 02日
木犀の雨のあいまに匂いくる
テレビで、木犀が香り出したといっていました。
木犀と言えば、忘れられない思い出があります。

もう20年以上前のことと記憶していますが、ある大学教授の家庭に招かれたことがあります。
教授はもちろん日本人ですが、奥様はフランスの方でした。
背は高く、眼はブルー、髪は金色、肌は透き通りように白く、まさにフランス人形を大人にしたような、文字通りの「金髪の美女」でした。御宅にお邪魔する前にも何度かお会いしていましたので、優しい人となりも分かっていました。

ただ、私はフランス女性が作り出す家庭の雰囲気はどんなものか、ちょっと興味がありました。
きっと西洋的な、絵画で言えば「油絵」的なものを私は暗に想像していたのかもしれません。

ところが、マンションの玄関を入って、まず私の目に飛び込んできたのが、ひとつの「短冊」でした。
達筆な運びで俳句が書かれてありました。

    木犀の  雨のあいまに  匂いくる

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私がその短冊をじっと見つめているので、教授がそばにやってきて説明してくださいました。
この短冊は教授の父君の書であり、内容は長女が生まれた時の状況を詠んだものだとか・・・

息子が異国の女性と結婚し、子どもが生まれることとなった。今か今かと待っているとき、ふっと木犀の香りがしとしとと降る雨の中を漂ってきた・・・・・木犀の優しい香り、その優しい香りに包まれ、木犀に連れられてくるように、この世にひとりの女の子が誕生した・・・

その話を聞いて、私は胸がいっぱいになりました。
今から40年以上前、国際結婚などまだまだ珍しかった時代、明治生まれの父親として、息子が外国の女性と結婚するのを認めるのはかなりの勇気がいったことではなかったでしょうか。

でも、「孫」が生まれてくる・・・その喜びを木犀の香りに託した教授の父もすばらしい方ですし、そんな優しい家族の下に生まれてきたハーフの赤ちゃんも幸せです。

木犀が香ってくると思い出すエピソードです。

by mimishimizu3 | 2011-10-02 09:49 | エッセイ
2011年 07月 22日
蓮葉(はちすは)はかくこそあるもの・・・
ハスが美しい季節となりました。
葉っぱの上の水玉がコロコロと転がっていくのを見ているのは楽しいですね。

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万葉集には、長忌寸意吉麻呂(ながのいきおきまろ)という人の次の歌があります。

     蓮葉(はちすは)は  かくこそあるもの  意吉麻呂(おきまろ)が

            家なるものは   芋の葉にあらし            巻16  3826

  (蓮葉はこのようにきれいでなくてはいけませんねえ・・   
         私、意吉麻呂の家のなんかは芋の葉みたいなものですよ・・・)

蓮の葉をみて、ここのは綺麗だけど、うちのは芋の葉っぱみたい・・・といったのは、芋、に当時の愛する人を呼んだ言葉「妹(いも)」をかけて、妻に対する照れ隠しの愛情をあらわしたのでしょう。
要するに「ここのはきれいだけど、ウチノカアチャンは芋なんですよ、芋・・・ハハハ・・・」といったところでしょうか。
この歌が披露された時、まわりにいた人々がどっと笑う、そんな笑い声まで響いてきそうです。

万葉集にはこのような楽しい歌もたくさんあります。

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きれいな蓮を見てふと思い出しました。

by mimishimizu3 | 2011-07-22 08:05 | エッセイ
2011年 06月 24日
山椒の花その後
八百屋の店先で、青々とした山椒の実を見つけた。
このブログで「山椒の思い出」を出したのは、4月24日であった。
花が咲いて、実がなって・・・・たった2ヶ月の間に自然は着実に歩を進めていた。
あの思い出を書いてから、私はずっと心のどこかで、その後のS君の情報を知りたいと思っていた。

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山椒の実を買って家に帰り、私は台所でていねいに洗った。窓の外が、夕焼けに染まっているのを見ながら、私は数ミリの細かな枝を一つ一つ取り除いていった。そして、やっぱりAさんに電話してみようと心に決めた。
Aさんは高校からの友人で、彼女に聞けば、S君のこともわかるはずだ。

その夜、佃煮にするため、昆布をもどし、細かく切り刻み、山椒の実と一緒に鍋にいれ、弱火にかけると、私は遠い友人に電話した。

「S君、ああ、あの背の低かった人ね。」
Aさんは直ぐに言った。そして高校卒業後のS君のことを話してくれた。
彼は理系の大学に進み、名前を聞けば誰もが知っている企業の研究者となったそうである。勉強も良く出来たS君なら、そうだろうなあと私は納得した。
「それで、結婚もしたんでしょう」
私は思い切って聞いてみた。150センチの背である私とほとんど変わらないS君はどんな女性と結婚したのだろう・・・
私がそう言うと、Aさんは楽しそうに、明るい声で言った。
「そうよ、それも、彼より10センチ以上も背の高い、すごいきれいで美人で、会社ではミス○○と呼ばれていた人よ」と、○○に会社の名前を言った。
どうやら、遠く離れてしまった私までは届かなかったが、この話は同級生の間ではかなり有名だったらしい。
彼女は楽しげに話してくれた。

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同じ会社で働いていた人で、あるとき、上司の家庭に数人が招かれた時、お茶請けとして、「柿ピー」という柿の種とピーナッツが混ざったスナックを出された。綺麗で美人の彼女は、その中のピーナッツだけをつまんでいたそうで、それを見たS君が、混ざっているお菓子から、ピーナッツだけを指で集め、彼女の方に置いてあげたそうである。それを見た上司の奥さんがからかって、「あらS君、やさしいのね」といったそうで・・・

「そのときね、S君が言ったのよ、名セリフを。その一言を聞いて、美人の彼女は、結婚するのはこの人だ!って決めたんですって。その一言ってなんだと思う?」

そういわれても、私には見当もつくはずもなかった。
160センチ以上ある若くて綺麗で美人の女性が、自分より10センチ以上背の低い男性と、そんなことは一切関係なく「結婚するのはこの人だ!」と瞬間的に思わせたたった一言ってなんだろう・・・

それはね、こういう一言だったんですって・・Aさんは笑いを含んで言った。

「ピーナッツだけを取り出して食べるようなワガママっておもしろいじゃないですか」

私はうーんと唸ってしまった。
ワガママとは、世間の常識ではほぼ100%いけないもの、となっている。わがままな子、という言い方は否定と非難が含まれていても、肯定的に言われることはまずないはずだ。柿ピーというお菓子から、ピーナッツだけを取り出して食べることがワガママになるかどうかは別として、そのとき、その美人は、S君の度量の大きさを実感したのだろう。人とちょっと違うことをするのを、「面白い」と思えるのは、人間としての器が大きくなければできないことだ。
S君は、体は小さくとも、心はとてつもなく大きな人だったのだろう。
私は、さりげなく、私に数学の答案用紙を見せてくれた昔をまた思い出した。
度量の大きさはその頃からあったのだ。
「山椒は小粒でピリリと辛い」と私に言ったS君は小粒どころか、本当は大きな大きな人間だったのだ。

幸せな家庭に恵まれ、優秀な子どもたちにも恵まれ、S君は、幸せな人生を送っている。
「よかったね。S君」
私の心もほかほかと暖かくなった。遠いふるさとが、急に近くに感ぜられた。

山椒の佃煮もことことと音をたてて、素晴らしい香りを家中に放ちながら、いい具合にできあがっていた。

by mimishimizu3 | 2011-06-24 09:12 | エッセイ
2011年 05月 18日
3・11の子ども達
今朝、新一年生が元気いっぱい「いってきまーーす」とお母さんに手を振って登校していく姿に出会いました。
かわいい笑顔です。黄色いカバーをかけられたランドセルを背負い、黄色い帽子をかぶって足取りも軽く新緑の中を友達と笑いながら歩いていく光景は、見ているほうまでほのぼのと優しい気持ちにさせられます。
それを見ていて、ふと、思い出しました。

どこの国でも、歴史的事件や世相はある種の世代を生み出すものです。日本でも、戦後世代とか、団塊の世代とかいわれています。
今、アメリカでは、「9・11世代」という言葉があるそうです。10年前のあのテロのとき、小中高生だった世代のことで、この世代はと
りわけ外国への関心と愛国心が強いという特徴があるそうです。

今年3月11日、日本は未曾有の大災害に見舞われました。
津波に飲み込まれ、家を失い、家族を、親を失った子供もたくさんいます。自分は命だけは助かったけれど、想像を絶する恐ろしい体験をしてしまった子供たちの心はどれほどの深い傷を残したでしょう・・
PTSD、(心的外傷後ストレス)の深さを思うと言葉もありません。

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5月16日、朝日歌壇にはこんな歌が載りました。
 
   起立する子らの後ろに遺影抱く
       入学式に二人の母よ         千葉市  加藤伊津

これは、入学式に出られなかったわが子の遺影を抱いて出た母の姿を歌ったものですが、私は、そこに居合わせた子ども達の姿を思い浮かべました。本来なら一緒に仲良く入学式に出るはずだった友だち、遺影でしか出席できなかった友だちのその原因を、新一年生は幼いながら忘れることはできないし、その悲しみは幼い心の底にずっと鳴り響いていたことでしょう。

アメリカの「9・11世代」と並ぶように、「3・11世代」とよばれる世代がこれから生まれるのかどうか、それは私にはわかりません。
ただ、心に深い傷をおった子供たちが、心の底で何かを感じつつこれから成長していくことだけはたしかです。
大災害に出会ってしまった子ども達がこれから心の傷をどう克服していくのか、元気に登校していく新一年生の坊やを見ながら、私は3・11の子供たちに希望の火を消さないで・・・と影ながらエールを送らずにはいられませんでした。

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by mimishimizu3 | 2011-05-18 09:05 | エッセイ
2011年 04月 24日
山椒の花
山椒という木は、苗を買ってきて何度か植えたけれど、そのたびにいつの間にか消えてしまい根付かなかった。
狭い裏庭は日当たりも悪く、水はけも悪いから仕方がないのだろうとあきらめ、すっかり山椒のことは忘れていたのだが、数年したある年の春、ふと、植えたはずのない山椒が青々と芽吹いていることに気づいた。
何年か前に植えて、消えてしまったと思っていた根が地下では生きていて、新しく芽を出したのだろうか、それとも鳥の置き土産か何かの拍子に、我が家の裏庭にそっと新しい命をはぐくんでいてくれたのだろうか。そう思うとちょっと楽しくなり、私は時々その山椒を気遣っていた。

それから山椒の木は順調に成長し、今年、ふと見ると小さな花をつけていた。
初めて見る山椒の花はかそけく、弱々しそうに見えた。花が咲いたのだから、ここから実もなるのだろうか・・・そこまで考えが及んだとき、私はあっと声を上げた。
山椒の種・・・・
突然、遠い、遠い日、私はたしかに、たしかに山椒の種をみたことがあったのを思い出した。私の手に、山椒の種を数粒落としてくれた人があったのだ。
S君の顔が鮮やかに浮かんだ。
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S君と私は高校で同じクラスだった。
私は背が低く、朝礼などで並ばされるときはいつも最前列だった。 そして、男子の最前列は、いつも、私と背の高さもあまり変わらないS君だった。

ある日、やはり朝礼などで、校庭に並ばされて、まだ先生は来ず、全員ががやがやとざわついている時だった。私は何をするでもなく、誰かとおしゃべりをするでもなく、ぼんやりと足元を眺めていた。
そのとき、隣に並んでいるS君がポケットから紙に包んだ小さな黒いものを取り出し、私に話しかけてきた。
「これ、なんか知っているか?」
私はきょとんとして、黒い小さな粒を見つめた。初めて見る黒い粒は、なにか得体の知れない不気味なもののように私には思われた。
「山椒の種だよ。山椒は小粒でピリリと辛いという、山椒だよ」
S君はさりげない風でそういって、私の手にその種を数粒落としてくれた。
私は、ただ「ふーん」といってその小さな粒をながめた。すぐに式が始まり、私はそれきりその種のことは忘れてしまい、種もどこかに消えていった。

S君は大きな黒目がきらきらと光る、いわゆる「紅顔の美少年」という言葉がぴったりの顔立ちだった。勉強も良くしていたようで、成績も抜群だった。おそらくクラスで1番の成績をいつもキープしていたのではあるまいか。
休み時間もあまり仲間と遊ぶこともせず、一人でいることが多かったように思う。

山椒の種のことがあってしばらくして、期末テストがあった。
私は数学が大の苦手で、授業にもついていけていなかった。試験のとき、私はまったくわからず途方にくれた。
「赤点」「落第」その言葉が私の頭の中で鳴り響き、私はいたたまれない、泣きたいような気持ちになり、思わず、ふーと大きなため息をした。同時に何気なく隣の席のS君のほうを見た。まったくの偶然だとは思うが、その時S君も私のほうを見た。二人の目が一瞬あった。
お互い、すぐに目をそらしたが、そのあとS君がさりげなく、解答用紙を机の端に出してきたのを私は知った。それは私に見えるように、私に、教えるようにしているのだとすぐにわかった。私は教師の目を盗みながら、S君の解答用紙をちらちらと眺め、同じものを自分の解答用紙に書き込んでいった。
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試験が終わっても、私は何事もなかったようにすましていた。S君も別に何も言わなかった。私たちは、特別に話したり、特別な感情を持つこともなく、卒業した。S君が卒業後どんなコースに進んだのかさえ、私は知らず、もちろん音信もなかった。

山椒の花を見て、そんなS君が私の胸にいきなり甦ってきたのだ。

S君は卒業後、どんな人生を送ったのだろうか。
背の低い自分を、「山椒は小粒でぴりりと辛い」と山椒になずらえて、人生の荒波を乗り切っていったのだろうか。

半世紀近くたって、私は、涙があふれそうなほど切なく、遠い昔を思い出した。
あの時、S君はどんな思いを込めて、山椒の種を私にくれたのだろうか。
今、私はそのことを考える。でも、あの時は・・・何も思わず、何も感じず、ただ、「ふーん」とだけいっただけの私だった・・・

S君に会いたい!その思いが私の胸に突き上げてきた。
S君は元気だろうか。どんな人生を送り、今、どこでどんな生活をしているのだろうか・・・・
そして、私は、雷にでも打たれたように思った。
あのときのカンニングのお礼を言わなければ!!・・私はお礼も言ってなかったのだ!

山椒の花はそんな私を慰めるかのように、夕日の中でしずかにほほえんでいた。

by mimishimizu3 | 2011-04-24 09:14 | エッセイ
2011年 02月 05日
美智子皇后の短歌とマンサクの花
1月15日から、私はずっと心の隅で「マンサクの花はいつ咲くかなあ・・・」と思っていました。
何故、1月15日かというと・・・
その日、宮中では恒例の歌会始が行われました。
今年のお題は「葉」
美智子皇后のお歌は次のようなものでした。

      おほかたの枯葉は枝に残りつつ

             今日まんさくの花ひとつ咲く

マンサクは春に先駆けて「先ず咲く」から命名されたとか、「満作」につながつからおめでたいとか言われるようですが、独特な姿をした花はむしろ地味であるともいえましょう。

福岡は年末以来すっと厳しい寒さが続いていたのですが、立春の日、まさに暦どおりの暖かい「春立つ日」になりました。
植物園に問い合わせてみたところ、「マンサクですか・・・・さきはじめているようですよ」とのこと、久々の陽気にも背中を押され、植物園を訪れました。

マンサクは、皇后様のお歌のとおり、枯葉が枝に残っています。色あせて、チリチリになってしまった枯葉は決して美しいとはいえません。そんな中にまさに咲き出そうとする花がありました。

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こういう状態に目をお留めになり、歌に詠まれたのかと、しばし、咲き初めたマンサクの花を見つめました。
皇后様のお歌に、下手な写真など添えるのは、おこがましくもあり、畏れ多いことでもありますが、皇后様の短歌のフアンとしてゆるしていただきましょう・・・

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来年のお題は「岸」とか。どんなお歌ができるかと、いまから楽しみです。

by mimishimizu3 | 2011-02-05 09:23 | エッセイ
2011年 01月 28日
「とっとーと」
博多弁に「とっとーと」という言葉があります。
最近、この言葉がそのままお菓子の名前になって発売されるようになりました。
私は、この「とっとーと」という博多弁には楽しい思い出があり、お菓子が出たときから気になっていました。

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福岡に住むようになってまだ日も浅いころ、街の中心部にあるコンサートホールで行われる音楽会に行きました。
初めてのところでもあり、うろうろしながら空いている席を探しました。
通路側にあいている席があったので、いちおう隣に座っている人に「ここ空いていますか?」と声をかけると・・・・
「とっとーと」

抑揚がない平坦な言葉です。でも、すぐに「ここは取ってありますよ」という意味だろうと理解できましたので、ほかにないかな、とまたあたりを見回しました。
ところが、私のすぐ後から来た人が、私と同じように隣の人に言うのです。
「ここ、とっとーと?」
それは語尾をきゅーと上げて、疑問形にするのです。
すると聞かれた人が答えました。
「とっとーと」

私はその会話を聞いてびっくりしました。
同じ言葉なのに語尾を上げるか上げないかだけで、まったく別の用を果たすのは標準語だって同じです。
でもこの「とっとーと」は、「とっ」という促音の重なりで、なんともいえないリズムとユーモアをかもし出しています。語感からくる暖かさとおかしみは、方言の持つ豊かさとおおらかさといってもいいでしょう。それは、博多という街の持つ包容力のように、そのときの私には思えました。

初めて聞いた本格的な博多弁が楽しい博多弁であったことは、私をこの街にすーとなじませてくれた一つの力になったのかもしれません。

「とっとーと」というお菓子がはたして「取ってありますよ」という意を呈しているのか、「取ってありますか」という疑問形なのか・・・・
どちらにせよ、楽しい博多弁がお菓子の名前になったことは、私の思い出をまた揺すってくれました。

by mimishimizu3 | 2011-01-28 09:03 | エッセイ