カテゴリ:エッセイ( 41 )

2010年 10月 19日
糸車の思い出
窓辺に、糸車が無造作に置かれてあった。
あたかも、本や糸巻きとともに、邪魔なものをとりあえずそこにおいておこうとでもいうように・・・
窓の外にはコスモスが揺れ、のどかで静かな秋の日だった。
古い日本の民家を移築し、観光用に人々に見せているその家の窓の糸車を見たとき、私は懐かしさで胸がしめつけられるようだった。

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もうどのくらいの年月が経ったのだろう。多分四半世紀も昔のことになるだろうか、私は一時期、手仕事に熱中した時があった。洋裁、刺繍、毛糸の手編み、さまざまな手仕事は、けっして上手ではないと自分でわかるものだったが、作り上げる楽しさは格別のものがあった。
そんな時、やはり手仕事の好きな友人がいて、私など足元にもおよばないさまざまなものを作っていた。
特に彼女の毛糸編みは玄人はだしだった。
あるとき、彼女は私に言った。
「羊を一頭、毛を刈ったままのものを買うんだけど、あなたも少し要らない?セーター一枚分ぐらいなら分けてあげてもいいわよ」
私はそのとき、その意味がよく理解できなかった。
詳しく聞くと、刈り取ったままの羊の毛を自分で洗い、糸車にかけて縒って糸にし、その糸でセーターを編むということだった。もちろん染色などしない、つまり羊の色そのままのセーターを作るのだ。
そんな面白いことが体験できるのか・・・、私は大喜びでその話に飛び乗った。

刈り取ったままの羊の毛は、文字通り鼻をつまむほど臭く、その上、よだれと汗と泥と糞と食べかすの草などもまじり、べとべとしていた。庭にたらいを持ち出し、それをぬるま湯で丁寧に何度か洗い、油分が少し残る程度にしてから影干し、乾かしてから糸車にかける。糸車は快く貸してくださった。

初めての糸車は簡単そうに見えても結構むずかしく、回す勢いで太くなったり細くなったりした。「まわれ、まわれ糸車・・・」そんな歌を口ずさみながら、私は楽しんで糸車を回した。

糸になって、さてセーターに編もうという段になって私ははたと気がついた。もっとも太いところでは約1センチもあろうかというところと、細いところでは数ミリしかない糸ではゲージが取れないのだ。ゲージが取れなくて、目分量でセーターを編めるほど、私には経験もないし腕もない。
私は困ってしまい、彼女に相談した。
答えはいとも簡単だった。市販の、もちろん太さが均一している糸を何段目かに数段入れ、ゲージをある程度一定にすればいいのだ。
私は市販の白い糸を買ってきて、10段目ごとに2段入れた。
結果的にそれは横縞模様になり、いいアクセントになったと思う。

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私に糸車を貸してくれた友人はその後この地を去っていった。何年かは年賀状のやり取りもあったが、いつのころからか音信も絶えた。
手先が器用で、手仕事の上手だったあの人は今、どこにいるのだろう。
今でも元気に手仕事をしているだろうか・・・
そして、あの糸車は今でもあるのだろうか。

コスモスが揺れる窓辺にあった糸車をみつめ、私は遠い昔をしばしなつかしく思い出していた。

by mimishimizu3 | 2010-10-19 06:11 | エッセイ
2010年 09月 25日
秋の風ふく
急に涼しさがやってまいりました。
風がさわやかに感じられます。

   君待つと   わが恋ひをれば   わが屋戸の

      すだれ動かし    秋の風ふく

                     額田王(ぬかだのおおきみ)万葉巻4  488

これは額田王が天智天皇を待っているときの歌だそうです。額田王にもこんなやさしい歌もあったのですね。
そしてこの歌は昨年の大晦日、小林幸子さんによって紅白歌合戦でも歌われました。

作曲は新井満さん、「万葉恋歌」として万葉集の歌が3首歌われました。
小林幸子さんと紅白といえば、「メガサチコ」ばかり話題になりますが、メガサチコの中で万葉の恋の歌が歌われたのです。切々と情感を込めて歌われていました。

また、リンクしたこの「ココロ・ニ・マドヲ」では小林幸子さんと新井満さん、そして万葉研究では第一人者の中西進先生の3人の座談会もあります。演歌歌手の小林幸子さんが中西先生と万葉恋歌をどう歌ったらいいのか、苦心なさった話は興味深いものがあります。よろしかったら見てください。

秋の風が、心に染み入るように吹き染めるころ、ふっとこの歌にまつわることどもなどを思い出しました。

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by mimishimizu3 | 2010-09-25 07:55 | エッセイ
2010年 05月 23日
ナメクジとビール
5月も下旬となり、緑の色が深まってきた。
それにつれて、木の下には小暗い影ができている。
その湿った薄暗さが心地いいのだろうか、この時期、だんごむし、蟻、ナメクジ等、庭の小動物は活動が活発で、子孫を増やそうとたくましく生きている。
花の苗を植えても一晩で食べ尽くされたということは私もしばしば体験した。

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女ばかり7,8人いただろうか、あるところでおしゃべりに花が咲いていたとき、話題がそんなところに向いていった。
ペチュニアを植えたのに、花だけきれいに食べつくされていて、腹が立ったと一人が言うと、一人は昨年はイチゴがたくさん採れたのに、今年はナメクジにみんなやられていると嘆いた。
すると一人が言った。
「ナメクジはビールが好きだから、ビールを撒いておいたら一網打尽に退治できるのよ」
ナメクジはビールが好きという話は私も聞いたことがある。初めて聞いたときはへえーーと驚いたが、これはたしかに本当のことらしい。
すると別の一人が笑いを含んで言った。
「でも、ナメクジってちゃんとしたビールには寄ってくるけど、発泡酒にはよってこないんですってよ」
みんながいっせいに、ほんと?と言う顔をしたとき、一人がすらっと言った。
「あら、うちの主人、きのうの夕食で発泡酒出したけど、なんにもいわなかったわよ、わからなかったみたい」

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多分1秒間ぐらい、部屋はしーんとし、そしていっせいに、壁が割れるのではないかと思われるほどの大爆笑が起こった。
爆笑はうねり、波になりしばらく続いた。まさにみな、お腹を抱えて笑い転げた。言った本人も、言ったあとになってその意味するところに気がついたのだろう、苦笑を禁じえないようだった。


時として、何の悪意もないけれど、思わず笑ってしまうということは起こるものだ。発泡酒と普通のビールの区別がつかなくたっていっこうにかまわないけれど、ナメクジと比較されるとやはり笑ってしまわざるをえない。さらっといった彼女の言い方も悪意がないだけに、よけいみなの笑いをさらってしまったのだろう。

しかし、この話は落ち着いてよく考えてみると、別に笑うべき話ではないかもしれない。
私たちがあの場で笑ったのは、人間ともあろう高等生物がナメクジごとき下等生物に劣っているはずはないという無意識の前提に基づいているからであろう。
しかし、人間が聞こえない音を聞き取る動物はたくさんいるし、人間がみえない光を認識できる動物もたくさんいる。
ナメクジがほんとうに普通のビールと発泡酒を区別できるのかどうかは知らないが、できたとしても不思議はないかもしれない。

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そんなことを考えていたら、5月22日の朝日新聞の天声人語にこんな記事が載っていた・
「米国の動物園に《最も危険な動物》という展示があると聞いた。オリの中に鏡があって見物人が映る。つまり人間である。」

人間はこの地球上で一番傲慢で、一番危険で、一番厄介な動物なのだろう。生きとし生けるものすべてをもっと大事にしなくては・・・とその記事を読んで思った。

でも、でも・・・・ナメクジはやっぱり気味が悪いデスネ。 (-^〇^-)(-^〇^-)(-^〇^-)

by mimishimizu3 | 2010-05-23 12:57 | エッセイ
2010年 04月 15日
桜宇宙に・・・
学生時代から、短歌を続けている友人が同人誌を送ってきた。
ぱらぱらと見ているうちに、ふと次の歌に目が留まった。
  
     しだれ枝の  もなかに入りて   抱かるる

          四月の丘の  桜宇宙に
                                 笠原千紗子

枝垂桜の美しさは、ブログでもたくさんの方が、写真に撮り、アップされていた。見事というしかない枝垂桜のすばらしさを私もたくさん楽しませてもらい、堪能させていただいた。
しかし、それらは多くの場合、外側から、枝垂桜の美しさを追い求めたものが多かったように思う。

「もなかに入りて」・・・・
短歌に歌われたその言葉に私ははっとした。
たしかに、枝垂桜の「も中に」「入って」みたら、外から見るのとはちがった枝垂桜の美しさが見えるのかもしれない。
それは「四月の丘の」「桜宇宙」なのかもしれない・・・・

私は矢も楯もたまらなくなり、枝垂桜のある城跡を訪ねてみた。

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枝垂桜は盛りを過ぎ、終わりかかっていた。それでも私はしだれの中に入っていった。
私は目を閉じた。やわらかい春の日差しが、透過光となってふりそそいでいる。桜の満開のとき、そこはきっと、ほんのりとした桜色に包まれていたにちがいない。桜色の《宇宙》がたしかに存在していたにちがいない・・・
「桜宇宙」、なんというやさしい、美しい言葉なのだろう。

私は、久しくあっていない、品のあるやさしい友の顔を思い浮かべた。
城跡の枝垂桜は私に、なつかしい友の香りを運んできてくれた。

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by mimishimizu3 | 2010-04-15 09:03 | エッセイ
2010年 04月 12日
すみれ
万葉集に次の歌がある。

   春の野に すみれ摘みにと  来しわれぞ

    野をなつかしみ  一夜寝にける

                 山部赤人 万葉巻8 1424

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高校の国語の教科書に載っていたこの歌をはじめて見たとき、私は二つのことに、えっ・・と思った。
一つは、すみれって、万葉集の時代にもあったの・・という驚きであり、二つ目は、「一夜寝にける」なんていったって、野原で一夜を過ごしたら、さぞ寒いだろうな、という思いだった(笑)

すみれという言葉の響きは、サ行、マ行、ラ行であり、サ行で始まる言葉はなぜか、さわやかな印象を与えるものが多いように思う。
す、み、れ、という発音は清涼感を私に与えてくれる。それはどこかエキゾチックであり、遠い憧れを呼び覚ますようだ。
あとから考えると、それは多分に、『宝塚』のあの有名な歌、

すみれの花 咲くころ
 初めて君を 知りぬ・・・

という歌に影響されていたのかもしれない。
この歌は、とても、おしゃれであり、ハイセンスであり、都会的である。
そんなこともあって、私は、すみれというのは、遠い、遠い国からいつごろかやってきた夢のような花、という勝手な思い込みを持っていたのだろう。万葉集の昔から、日本に自生していたというのは、私にはちょっと驚きであった。

もう一つの疑問、野原で一夜寝たら寒いだろうな、という思いは、その後、ある説を知ることにより、解消されていった。
それはこの歌を、「すみれ」を摘みに野に出た、というのではなく、すみれを女性の《暗喩》として使っているのだ,と言う説だった。
田舎に、すみれをおもわせるような素敵な女性がいた。その女性と別れがたく、一夜をともにしてしまった・・・・

この説はもっともらしく、説得力もあるといえよう。

しかし・・・・
この歌は、すみれを、そのまま花の「すみれ」としておいたほうが、美しいのではあるまいか。
万葉の昔は、すみれを山菜として食用にもしていたらしい。
寒い冬が去り、春が来た、さあ、春の野に出かけよう・・・
野に出て、すみれを摘んだ・・・なんというそのさわやかさ!
赤人は、やっとやってきた春を楽しみ、春の野に出て、実際は一夜寝ることなどはなくとも、一夜をそこで過ごしたいほどの心の高まり、喜び、感動、それら「一夜寝にける」としたのではあるまいか・・・

すみれ、この楚々とした花は、昔から人々の心を捉えて放さなかった。しかし、すみれは実際はとても、とても強い花である。
道端にも、コンクリートの割れ目にも勢力を伸ばしている。

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そんな強さを秘めながら、たくさんの人に愛されているすみれ、それはやはりこの花のかわいらしさ、可憐さが我々の心に訴えてくるからであろう。
そういえば、芭蕉も有名な句を詠んでいた。

  山路来て  なにやらゆかし  すみれそう

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by mimishimizu3 | 2010-04-12 10:40 | エッセイ
2010年 04月 05日
無縁社会

NHKテレビで「無縁社会」という番組を放送していた。
今、日本は、地縁、血縁、社縁もくずれ、それらすべてに落ち込んでしまった人が、誰にも看取られず、孤独のうちになくなっていくケースが増えている、という内容のものだった。
地域にも溶け込めず、家族もなく、社会との接点が切れてしまった人は老後をどう過ごしているのだろうか・・・
重い現実の映像を見ながら、私はある人のことを思い出していた。

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その人とはじめて出会ったのは、まだ寒さの厳しい冬の日だった。
その日、私は午後からどうしても出席しなければならない会合があり、それは夕方までかかることが予想されたので、午前中に買い物を済ませ、夕食の下ごしらえをし、と段取りを立てて、スーパーに買い物に行った。
鮮魚売り場で、私は色鮮やかなサーモンを見ていた、チリ産との表示、行ったこともない国から来た魚を見て、私は手を伸ばした。バター焼きにして、自分で作ったタルタルソースをたっぷりかけて食べるのが私は好きだ。
「それ、どうやって食べるのですか・・・」
その声に振り向くと、80代と思われる身だしなみもきちんとした、品のいい女性が私に話しかけてきた。
私は一瞬、この年代の女性はサーモンなどあまりなじみではないのかな、と思い、「これは・・・」と私の拙い料理の知識を述べた。
バターで焼いて、ソースを作って・・・といったところで、女性は私の言葉をさえぎるように、いきなり「私84歳なんですよ」といった。
私はぎょっとした。別に年齢を聞いたわけでもない。料理法の途中で、年齢を言い出す必要はまったくない。
が、そのあと、女性は「私、一人住まいなんです。いえ、家族はいるんですよ。息子がね。東京にいるの。その子はね、○○大学を出てそのまま東京で就職して・・・○○商事ですよ、一流企業、それでそこで知り合ったお嬢さんと結婚して・・・」
女性は堰を切ったように身の上話をしゃべりだした。息子は立派に育った。しかし、今、音信はほとんどない・・・
そこまできて、私はやっと理解した。
この女性が私に話しかけてきたのはサーモンの料理法を教わりたいからなんかではない、ただ、誰かとおしゃべりしたかったのだ、ということを。

しかし、そのとき、私はその女性のおしゃべりに付き合っている時間はなかった。
午後からの予定が頭をよぎり、私は丁重に挨拶をしてその人のそばを離れた。

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私が彼女と2度目に会ったのは、それから1ヶ月もたったころだったろうか。
私の家からは歩いていける距離にスーパーが3軒あり、その日の気分によって使い分けている。
花粉症の季節に入り、私はマスクにめがね、帽子と『花粉症3点セット』で別のスーパーに行った。
精肉売り場の前で、何にしようかなと迷っていたとき「今夜のおご馳走はなんですか・・」と誰かに声をかけられた。あわてて振り向いて私はあっ!と声を上げそうになった。
そこには、サーモン売り場で私に話しかけてきた女性がにこやかに立っていた。

「私もね、何にしようか迷っているのですよ。私はね、今84才なんですけどね、ひとり分作るのも億劫で・・・いえ、家族はいるんです、娘がね。○○県に嫁いでいるんですよ・・・」
女性は今度は娘自慢を始めた、娘もちゃんと大学を出し、一流企業に勤めて、そこで見初められて、いいところのお坊ちゃんと結婚して・・・
堰を切ったように女性は問わず語りに自分のことを話し続けた。
娘も立派に育った。『いいところ』の人と、結婚もした。しかし、娘も今はほとんど電話もしてこない・・・私は「そうですか・・」と相槌を打ちながらも、延々と続く身の上話を複雑な思いで聞いていた。

誰かと話したい、それは人間の基本的欲求なのだろう。
息子もいて、娘もいる。でも、孤独感は癒されない。いや、息子や娘がいるだけに、より深い孤立感に襲われるのではないか。

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無縁社会、そんな中で、スーパーで話しかけられたら、時間が許す時は、聞き役に回るのも一つのボランティアかもしれないと思いつつ、いつか、私もスーパーで誰かに話しかける老人になっているのだろうか、と背筋がぞくっと寒くなった。

by mimishimizu3 | 2010-04-05 12:20 | エッセイ
2010年 03月 01日
「天の神様」

バンクーバーオリンピックが終わった。
テレビに釘付けになりながら、私はさまざまな感慨にひたった。

フィギュアースケートの華麗な演技、ジャンプの空を飛ぶ勇姿、スキーをはいたまま空中で何回転もする姿などなど、私とはあまりにもかけ離れた別世界、別次元のできごとである。
100メートル以上空を飛ぶとき、選手には何が見えるのだろう、空中を何回転もするとき、天と地は選手の目にどう写るのだろう。この世の神秘、この世界の美しさを、一瞬の間に体得できるのではないだろうか。そして私は思った。天の神様は、この人たちに卓越した運動能力と運動神経と、そして努力する力をお与えになったのだと。

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天の神様・・・
もし本当に「天の神様」がいるのなら、「天の神様」とは、想像を超えるえこひいきを為さる方である。オリンピックに出られるような人にはこれほどの能力を与え、そして・・・私には・・・
私には・・・悲しいくらい完璧なまでに、運動能力、運動神経を与えては下さらなかった・・・

雪と氷の上の美しい演技をうっとり眺めながら、私は遠い遠い日の出来事を思い出していた。

あれは小学校の何年生のときだったのだろう。
体操の時間、鉄棒で逆上がりをさせられた。はじめの時、できる子は少なかったが、すこし練習をするとどんどんできる子が増えていき、何回目かには、ほとんどの子ができるようになっていた。
一人一人みなの前でさせられたとき、できない子は私とS子ちゃんだけになっていた。体操の時間が終わり教室に帰るとき、私はふとS子ちゃんを見た。S子ちゃんはじっと下を向いたままだった。
次の時間は国語だった。国語は私の好きな科目だった。先生は教科書を読ませた。S子ちゃんが当てられ立って読み始めた。一つの漢字のところでS子ちゃんはつまずいた。先生は「この漢字がわかる人」といった。私は手を上げ答えた。
国語の時間が終わり、給食になった。たまたま給食当番は私とS子ちゃんだった。S子ちゃんは私を完全に無視して仕事をした。食器を片付けるとき、手が滑ったのか、S子ちゃんの持った食器が私に触れた。汁がぼたぼたとこぼれ、私のスカートに流れた。スカートはびしょびしょになった。S子ちゃんは何も言わず、黙って食器の片付けを続けた。

次の週の体操の時間、S子ちゃんは逆上がりができるようになっていた。結局、クラスで逆上がりができないのは私一人だけだった。
クラスメートの嘲りと軽蔑の眼を感じながらみなの前でさせられたとき、私は悲しさと恥ずかしさでいっぱいになっていた。泣きべそをかいた私の目に、ちらっとS子ちゃんの顔が映った。その瞳にはぞっとするほどの冷たさが宿っていた。

あとから聞いた話によると、S子ちゃんは放課後毎日、お母さんに手伝ってもらい、鉄棒の猛練習をしたらしい。

あのときのS子ちゃんの刺すような眼は今でも私の心のまぶたに焼き付いている。そしてその時感じた悲しみと切なさも、私の心の底に沈殿したまま残っている。
人はだれでも、そうした悲しみや苦しみをいくつか持っているのではあるまいか、普通のときはわすれているが、ふとしたとき、思い出す悲しみと苦しみの感情・・・

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オリンピックのすばらしい競技を見ながら、私はついぞ私には味わえなかった世界の広さと深さを想った。雪の白さの中に吸い込まれてゆく快感を想った。
逆上がりだって、もしできていたら、違った世界がみえたのかもしれない・・・
私は、もし生まれ変わることがあるのなら、今度は人並みでいいから、ほんの少しでいいから、私にも「運動能力」「運動神経」を与えてくださいと「天の神様」にお願いしたいと、そんなことをふと思い、同時に、たくさんの感動と興奮を与えてくれたオリンピックに感謝した。

by mimishimizu3 | 2010-03-01 16:02 | エッセイ
2010年 01月 10日
ある年賀状
そろそろ今年の年賀状も出揃い、整理のときがやってきた。
いただいた年賀状を一枚一枚手にとって眺めていると、さまざまな思いが去来してくる。
もうこの人とは会うこともないだろうなと思いつつ、でも、何十年も年賀状だけはやり取りしている人もいる。その人から年賀状が届かないと何かあったのかな、と思ってしまう。この年になると、年賀状は安否確認の意味を呈し始めてきているのだ。
そんな中、私は一枚の賀状に目が留まった。儀礼的な挨拶の余白に、こう書かれてあった。
「今は夫の介護に明け暮れています。ほとんど自分の時間はありません。あなたとよく大濠公園でおしゃべりしたのを懐かしく思い出します。」

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私は遠い日の、記憶のページをたぐり寄せた。
その人とは昔、ある文学講座で一緒だった。わたくしよりいくつか年上のその人は美しく、ものやわらかで上品な人だった。特に私は《好もしい翳り》とでもいうしかない、物静かさが好きだった。私はその人に憧れに近いものさえ感じていたのだろう。
講義が終わると私たちはよく大濠公園まで歩き、簡単なお昼を取りながら取り留めのない話をした。
そんなある日、彼女は何気ない話し振りで私に言ったことがある。
「あなたのご主人はあなたがこの文学講座に来ることについて、なんにもおっしゃらないのでしょう」
私は一瞬何のことか、その言葉の意味するところが判らなかった。
「どういうこと・・」と私が言うとその人はすこしさびしそうな表情を浮かべ言った。
「うちの人は、私が文学講座にくるのを嫌がっているみたいなの・・
文学なんて勉強して何になるんだって・・・一銭の得にもならないことをするより、株の勉強でもしろって・・・」
私は返す言葉がなかった。

それからもその人は月2回の文学講座には欠かさず出席していた。私は、彼女はどんな思いで毎回出てくるのだろうかと思いつつ、それきり家庭の話はしなかった。

その人は字も綺麗な人だった。お習字というより書道もしていて、ある年、書道展で小さな賞をとった。お祝いを兼ね、一緒に美術館に見に行ったとき、私はふと思いついて彼女に言った。
「書道をすることに関してはご主人はなんとも言わないの?」
彼女は「ええ。お習字はいいのよ。・・」といってから少しばかり言いよどんだ。
が、思い切って言うように、ちょっと声のトーンを変えて言った。「だって年賀状は主人の分まで全部私が書いているし・・・、会社でも今では私が書いているって判って、みんなにほめられるらしいのよね、だからお習字はいいの・・・」
パソコンもない時代、年賀状は印刷屋に頼むか、手書きしかなかった。夫の会社関係まで、全部妻が書いた手書きの年賀状を出すのかと、私は少しばかり驚いた記憶がある。

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しかし、たったそれだけのことで、夫婦の間のことを決め付けることはできないだろう。
案外仲良く、夫婦円満に暮らしていたかもしれない。
私たちはお互い、あまり家庭のことは話さなかったし、その人もそれ以上は何も語らなかった。
しかし、夫婦の価値観が違っていたことだけは確かだろう。
古典文学が好きで、夫からは歓迎されていないと知りつつ熱心に講座に通っていた妻と、一銭の得にもならない文学なんてやってなんになる、という考えの夫。
今、彼女は献身的な介護をしつつその夫とどんな会話をかわしているのだろうか、夫のベッドの傍らで、彼女はどんな思いを抱いているのだろう・・・

そして私は思った。あれからもずっと彼女は夫の年賀状を書き続けたのだろうか、介護が必要となった今年、いったいどんな年賀状を夫の名前でかいたのだろうかと。

暖かくなったら、一度電話でもしてみようかな、私はふとそう思った。

by mimishimizu3 | 2010-01-10 07:42 | エッセイ
2009年 12月 21日
5年連用日記
久しぶりに街を歩いた。
不況、不況というけれど、街はすっかりクリスマスモード、あちらこちらでサンタさんが笑顔をふりまいている。
私は足早に商店街を抜けようとして、ふと、本屋の前で足を止めた。来年用の手帳をまだ用意してなかったことを思い出したのだ。
本屋に入り、いつも使っている手帳をレジに持っていこうとして、手帳の隣の棚にたくさんの日記帳が並んでいることに気づいた。
日記・・・・

私は急に胸がつまった。

遠い日の、思春期と呼ばれた日々、生きていくのがつらく、苦しいと感じていたころ、私の唯一の慰めは日記を書くことだった。
大学ノートに取り留めのないことを夜を徹して書き、自分の書いたものを読み返してはまた書き足していったあのころ・・・

私は本屋の店先でじっと物思いにふけった。日記を書かなくなってどれだけの時間が過ぎていったことだろう。
書くことで自分を自分で救い、しかし、書くことで自分を追い込んでもいた事に気づいたとき、私は日記をやめた。

本屋にはさまざまな日記帳が並んでいた。
私はいくつかを手にとって眺めぱらぱらとページをめくった。
どんな人が、どんな思いでこの日記帳を買ってゆき、そしてどんなことがかかれるのだろうか。

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ふと、5年連用日記というのが目に付いた。
5年連用・・
同じ日付のものが5段になっている。私はまた考えにふけった。
5年後、私はどうなっているだろう。第一、この世にまだ存在しているだろうか、生きているとしても、どんな状態でいるのだろう。それは誰にもわからないし、いくら考えても答えがわかるものではない。
私は買おうかな?と思った。
5段になっている日記帳は昔私が思っていた自分の思いのたけを書き綴る《日記》というものとはまったく異なり、たんなる行動記録に過ぎないものになるだろう。でも、それが返っていいかもしれない。
この日記帳が終わるまで、ともかく元気でいよう、毎日日課としてその日の行動を記録してみよう。
人生のたそがれが近づいている今、かぎりない薄明が来る前に、一つの目標として、この日記帳が終わる日まで、ともかくその日まで、精一杯生きてみよう。
そう思い、私は日記帳をレジに持って行った。

by mimishimizu3 | 2009-12-21 09:34 | エッセイ
2009年 10月 27日
ムベをめぐる三つの話
植物園で秋のバラを撮ってから、さてどうしよう・・と思い、そうそう、もしかしたら、ムベの実がなっている頃かもしれないと気づき、行ってみました。
ムベの花は、07年4月27日にアップしています。
     
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可憐で清楚な花が、秋の今、紫のアケビに似た実をつけていました。

   
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この木がなぜ、「ムベ」と呼ばれるようになったのか・・・
それには面白い言い伝えがあるのですね。
ネットでこんな記事を見つけました。

『 晩秋、ほのかに甘い赤紫の実のなるアケビ科の低木「ムベ」。この植物の語源が、天智天皇が発せられた一言だったということをご存じだろうか。
 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っている。蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。
 「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。』

ムベは、そんなに栄養のある、おいしい実なのでしょうか・・・・
アケビは食べたことはありますが、ムベは食べたことはありません。
野山に自生しているのも見たこともありません。一度食べてみたいですね。

それと

むべ、といえば、私はすぐに思い出す歌があります。
百人一首にもとられているから、ご存知の方も多いでしょう。

     吹くからに   秋の草木の   しをるれば
   
         むべ山風を   嵐といふらむ

                            文屋康秀

古今集、秋の歌 下 の巻頭を飾っている歌です。
若いころ、この歌を読むたびに「つまらない歌だなあ・・・」と思ったものです(笑)
山に風がふいて、草木がしおれた・・・なるほど嵐だなあ・・・
山の風だから「嵐」、こんな屁理屈にもならない、言葉遊びだけの歌を作っているから、明治時代、正岡子規に「歌よみに与ふる書」の中で、「貫之は下手な歌詠みにて、古今集はくだらぬ集に有之候」といわれるのだ・・・

でも、でも・・・・

年を重ねるということは、感性も感覚も変化していくものなのでしょう。
最近、この歌を口の中で転がしてみて、そのすばらしいリズム感に驚いてしまいました。
歌というのは、単にその内容、歌い方、だけでなく、こうした言葉遊びだけでも大いに良いではないか・・このさわやかなリズム感を、定家も愛したから「百人一首」にも取り入れたのではないか・・・
若いころの一方的な見方から開放されたのかもしれません。
今度のお正月にはひさびさに百人一首を出してみようとおもいました。

三つ目のムベをめぐる話・・・
それは漢字のことです、
ムベは漢字で書くと「郁子」
なぜ、「いくこ」が「ムベ」になったのか・・・
知らなければ読めない字です。経緯があるなら知りたいものです。
ご存知の方がいらしたら、教えてください。

by mimishimizu3 | 2009-10-27 11:47 | エッセイ