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2009年 08月 25日
ぬばたま   ヒオウギに寄せて・・・
道沿いの家の前に、遠目にも鮮やかな、はっきりした色の花が咲いていた。
なんだろうと近づいてみて、「あっ!ヒオウギだ!」と声を上げそうになった。
赤、というよりオレンジに近い、しっかりと自分を主張しているような花である。
この花の実が「ぬばたま」といわれ、歌の世界では「夜」とか「黒」の枕詞になっていて、万葉集にも歌われているということは、若いころ、ある友人が教えてくれた。

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  居明かして  君をばまたむ  ぬばたまの

         我が黒髪に  霜はふるとも             
                                万葉  89

久々に万葉集をひもとき、私はえっと思った。最後のフレーズ、「霜はふるとも」を、私はずっと、「霜のおくまで」と覚えていたからだ。
髪に白いものが混じるようになるまで、つまり長い、長い間ずっとあなたを待ち続けます、という万葉時代の女性の激しい熱情を見、さすが古代の女性は激しい恋をするものだ、と感嘆したから、この歌を覚えていたのだろう。
「霜はふるとも」はその情熱を内に秘め、じっと耐え忍ぶ女性の姿が浮かんでくる。
若かった私は、情熱的な万葉女性を無意識のうちに理想化していたかもしれない。
もうとっくに《我が黒髪》には《霜がおかれた》今となって、この歌のしみじみとした味わいが胸に迫る。

秋になり、この情熱的な花からは想像もできないような、つややかなまっくろに光る「ぬばたま」ができるころ、またこの「ひおうぎ」のある家の前に行ってみようとおもっている。

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by mimishimizu3 | 2009-08-25 08:32 | エッセイ
2009年 07月 20日
ホタルカヤ  朝の散歩で
世の中は、三連休とか・・・
皆様はいかがおすごしでしょうか。
私は、別にどうということのない、日常を送っております。

昨日、朝早く散歩に出ました。日曜なので、何時もよりちょっと足を伸ばし、時々行く、近くの山の麓にあるお寺まで行くことにしました。
道々、様々な「雑草」に目を向けます。ヤブマオが花をつけています。ヤブミョウガも咲き出しました。ヒオウギズイセンは、道端にも、やぶの中にも咲いています。
クズも咲き出しました。キカラスウリは、早朝にさいていたのでしょう、既にしぼんでいます。
「雑草」シリーズを始めてから、散歩が楽しくなりました。

朝の散歩で、気持ちのいいことは、お互い知らない人同士が「おはようございます」と挨拶を交わすことです。昼間になると誰もしないそんな事を、朝の早い時間にだけはする、というのも面白いことです。
山などでは、お互いにすれ違う人が挨拶をしあうようですが、「非日常」のところでは、みな心が優しくなるのかもしれませんね。

通り道の農家の庭には、すでに80代と思われる高齢の女性が草むしりをしておられました。
「おはようございます」
そういって笑顔をかわしました。

お寺にお参りをして、帰り道、やぶの中のヤブミョウガ、ヒオウギズイセン、ヤブマオを少しとって、お土産にしました。
行きに挨拶をした農家の前まで来ると、「オミナエシ、いらんとね」
「エッツ」と思いました。オミナエシが庭に咲いているではありませんか。もうオミナエシがさいている・・・私が驚いていると「、これももっていかっしゃい・・、花がすきっちゃろ」といってオミナエシを切って渡してくださいました。
一時に秋が来たよう・・・
私がオミナエシの中に顔を埋めていると、「ススキもいらんとね」
ススキ・・・
でも、普通のススキではありませんでした。
「ホタルカヤというとよ」

ホタルカヤ。
斑入りのカヤ、その斑をホタルに見立て、「ホタルカヤ」というそうです。
美しい名前です。それより、斑をホタルと見立てるその優しさに私は嬉しくなってしまいました。
本当にカヤのなかに蛍が止まっているようです。

家に帰り、常滑の壷に入れて、玄関の前に飾りました。

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左にあるのがヤブミョウガ、ヤブマオは右にあります。ヒオウギズイセンの赤が目立ちます。
黄色のオミナエシ、そして≪ホタルカヤ≫
まだ明けていない梅雨のうっとうしさを吹き飛ばし、さわやかな野の風が吹き抜けてゆくようでした。

by mimishimizu3 | 2009-07-20 11:31 | エッセイ
2009年 04月 15日
ターシャ・テューダー
私が、ターシャ・テューダーの名前を初めて知ったのは、このブログでお付き合いをさせていただいている、
Mさんと、Sさんのブログからでした。
岐阜に「ターシャの庭・in岐阜」というのがあって、お二人とも時々そこにいかれるようです。美しい花や、すばらしい庭などが、よくアップされてありました。

ターシャ・テューダーは昨年でしたか、NHKが「ターシャの贈り物」という番組を放送したそうです。私はそれは見ていないのですが、お二人のブログを見て、ターシャにとても興味を持ちました。
絵本作家、画家、ガーデニスト、料理研究家、自分の食べるもののほとんどは自分が作り、着るものも自分で作る・・・・すばらしい、≪スローライフ≫の実践者・・・・私の憧れはどんどん募っていきました。

今回、小倉のデパートで「ターシャ・テューダー展」が開かれるのを知り、矢も盾もたまらず小倉まで見に行ってきました。

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会場は、ターシャのやさしさと暖かさに溢れていました。
自分で作った、アメリカ開拓時代を思わせる服、羊の毛を刈り取り、糸車で糸をつむぎ、それでセーターを編む、自分の畑で取れたりんごでジュースを作る、ろうそくも手作り、子どもたちのためにおもちゃのぬいぐるみも手作り・・・

絵本作家として成功を収め、たくさんの賞も取ったターシャ。
絵を描く才能、童話を生み出す才能、天の神様からターシャはたくさんの才能をもらっています。それは羨ましいくらいです、でも、ターシャのすばらしさは、それら才能を、誇ることなく、自分のため、子どものため、心豊かな世界を世に送り出したことでしょう。
そして、スローライフの実践。

会場に集まった人たちはみな満ち足りたような、穏かな表情になっていました。

私は、会場を回りながら、以前読んだ詩の一節を思い出していました。

    詩人の仕事は  生活であり

    詩人の生活は  仕事である

まさにターシャは「生活」そのものが「仕事」であり、それは「芸術」とも呼んでいいほど質の高いものだとおもわれました。

入場券の裏に印刷されてあったターシャの言葉

  「『人間は欲が深くて 満足をしらない』って私も賛成よ でも人生はみじかいのよ

   充分に楽しむためには まず手に入れたものに感謝すること
    
   文句を言っている暇などないの  目の前にある幸せを

   精一杯 あじわうことよ」

ターシャ・テューダー・・・・このすばらしい女性にめぐり合えたことに感謝いたします。

by mimishimizu3 | 2009-04-15 08:14 | エッセイ
2009年 02月 25日
「ふるさと」
何日か暖かい日が続いた後に、再び真冬の寒さが戻ってきた日だった。
冷たい、細い雨がシトシトと降っていた。
何時もは多くの人で賑わい、平和な光景に溢れている公園も、厚い雲の覆われたその時は、ちらほらと傘をさした人が足早に通り過ぎてゆくだけで、何時もとは全く違う寒々としたたたずまいを見せていた。
私は、用事をすませると、公園を抜けたところにある地下鉄の駅に向かっていた。
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ふと、雨の中で、なにかきれいな音がかすかに流れているような気がした。そっと心により沿うような、何故か懐かしい、柔らかな、やさしい虹のような音色が漂っているのだ。
なんだろう・・・私は立ち止まってそっと辺りをうかがった。
かすかに、笛の音が流れている。笛?
わたしは耳を済ませた。確かに聞こえる。そうだ、リコーダーだ。たしかに、リコーダーの音色だ。
どこからだろう・・・
私は辺りを見回した。

リコーダーの音は公園の隅に点在する、ブルーのテントの一つから、流れてきているようだった。

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   うさぎおいし かのやま
   こぶなつりし かのやま
   夢はいまも めぐりて
   忘れがたき ふるさと

どこかで手に入れたリコーダーであるのだろう。
誰もが知っている「ふるさと」が静かに、ゆっくりと雨にけむる公園の片隅から流れ、冷たい雨の中に消えてゆく。
私は立ち止まったまま、耳を傾けた。

   いかにいます ちちはは
   つつがなきや ともがき
   雨にかぜに  つけても
   忘れがたき  ふるさと

1番だけでなく2番、3番の歌詞を思いつつ吹いているのだろうか、リコーダーは、ゆっくりと、何度も何度もくりかえし、いつまでも続いていた。
   
    こころざしを はたして
    いつの日にか 帰らん
    山は青き   ふるさと
    水は清き   ふるさと

私は立ち止まったまま、リコーダーに合わせて、「ふるさと」を小さく口ずさんだ。
   
寒いブルーシートのテントの中で、雨の日、どんな人が、どのような思いで、「ふるさと」を吹いているのか・・・
「いつの日にか、帰らん・・・」
3番のその歌詞のところまで来た時、私はたまらなくなり目頭が熱くなった。
志など果たさなくてもいい、ただふるさとに帰ることができたら・・・
切なすぎる歌詞を一緒に口ずさみながら、私の心にはしんしんと哀しみが沁みていった。

by mimishimizu3 | 2009-02-25 17:43 | エッセイ
2008年 12月 02日
アカザの杖
突然ですが・・・
皆様、「アカザの杖」というものをご存知でしょうか。
私は、このブログの「雑草」シリーズを初めてから、やっと名前だけは知りました。

5月19日、雑草シリーズ第30回で、「アカザ」を出しています。
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これをアップッする時、柳 宗民の「雑草ノオト」(10月16日、第50回でも出しています)の「あかざ」の項を読んでいましたら、この「あかざ」の若芽は食用となり、戦争中はよく食べられたということと、昔、中国で仙人がこの「あかざ」から杖を作りそれから「アカザの杖」といわれるようになったということが書いてありました。

食用にされたということはなるほど・・・とうなずけます。
いかにも柔らかそうな葉っぱです。
でも、ハボタンのような、キャベツのようなこの葉っぱから、「杖」ができるといわれても・・・・・・
私はどうしてもイメージがわいてこず、うやむやのままに心の引き出しにしまいっぱなしにしておりました。

ところがです!!

秋もたけた先日、ふと思いついて、春、アカザを見たところに行って見ました。
そこで、私は奇妙なものを目にしたのです。
遠くから眺めたとき、「なんだかおばけみたいなものがるなあ・・」と思いました。
それが、春、私が写真に撮ったアカザの秋の姿だと知った時の驚き・・・
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この写真は確かに、上に載せた春のアカザのその後の姿なのです。
赤い実をいっぱいにつけていました。
私は呆然と眺めていました。
するとそこにすぐ近くに住むご老人がやってきて、いろいろと説明をしてくださいました。

アカザの杖は、長寿の表徴、七福神の寿老人が持っている杖なのだとか。
そういわれれば、絵に描かれた寿老人はいつも杖を持っています。
また、この杖は昔から、中風の予防になると言い伝えられてきたとか・・・

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家に帰ってからネットで調べてみましたら、「アカザの杖」は今でもちゃんと作られ、売られています。
お値段も結構します。
説明してくれた方の話によりますと、アカザの茎が伸びてくる頃、取っての部分を曲げるために重しをして丸く曲げなければなりません、それが難しいのだそうです。
そういわれれば確かにそうでしょう。

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絵画に描かれた寿老人はいかにも『仙人』という感じですが、この杖をアクセサリーのように、おしゃれに持って歩くのもいいかもしれませんね。
イギリス紳士のステッキのように、そのうち、粋に「アカザの杖」を持つステキな高齢者に出会えるかもしれないと思ったら、なんだか楽しくなってしまいました。

by mimishimizu3 | 2008-12-02 15:11 | エッセイ
2008年 06月 07日
トンピとトンパ
 「それって、本当に“トンピ”?」
 電話の向こうで、いともさわやか、そういわれた時、私は一瞬エッとたじろいだ。
 トンピ?トンピってなんだろう。
 私はパソコンで「検索」を入れるように、自分の頭の中に「検索」をいれた。トンピ・・トンピ・・・
 しかし、出てきた結果は「該当する語句はありません」というものだった。この年になるまで、私は“トンピ”という言葉を聞いたこともなければ、自分の口から“トンピ”という言葉を発したこともないはずなのだ。
 私がつまってしまったのをすばやく察したのか、友は軽やかに言った。
「あら、豚の皮よ。それって“トンピ”って読むでしょう。あなたがいっているのは豚の皮のことでしょう・・・」
 
 私はウーンとうなってしまった。

 その時、私は説明書を読んでいて、豚皮というところもなんども出てきていたのだ。
 その“豚皮”を私は“トンピ”とは読んでいなかった。
 では私はなんと読んでいたのだろう。
 そう気づくと私はひとりで笑い出してしまった。私はなんとも読んでいなかったのである。ただ、漢字という表意文字のありがたさで、トンピとは読まなくとも、それが豚の皮であることはきちんと理解できていた。
 いわれてみれば“豚皮”は“トンピ”と読むしかないではないか。
 
 ゼラチンの話をしていたのであった。

 最近、ゼラチンが、中高年の女性の間で、軟骨と軟骨の間のクッションになるということでちょっとしたブームになっているらしい。
でも、ゼラチンにもいろいろあってどのゼラチンがいいか、友が薀蓄を傾け、熱心に話すのを聞いているうち、合いの手を入れるつもりで、わたしもゼラチンを使っているといったことから、“トンピ”うんぬんとなったのである。

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この話は要するに、漢字という表意文字の落とし穴とでもいうべきエピソードであろう。
我々は、その文字の読みがきちんと読めていなくとも、大体の意味は理解できることが多い。風圧計というものを一度も見たこともなく、聞いたことがなくとも、文字を見ただけで、おおよその見当がつき、なにをするものか理解できてしまう。
 
 それとは少しニャンスは違うが、最近、“トンパ文字”というのを知った。

 友人がおしゃれな、ステキなTシャツを着ていた。その絵柄は、今まで見たこともない、絵とも言えず、字ともいえないものだったのだが、それが“トンパ文字”であった。
 中国の山奥の、ある少数の山岳民族が実際に使っている象形文字だそうである。山とか川とか、鳥とか、私たちが今使っている漢字の象形とは異なった、ユニークな、ほのぼのとした暖かさがあふれる絵のような文字である。
 その文字が印刷されたTシャツが売られているというので、私はさっそく買いにいった。

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 私は「水」というのを選んだ。山岳民族の人々が考えた水は、空を自由に舞う鳥のように見え、軽やかな気分にさせてくれる。こんな自由な発想をする山奥の人々はどんな暮らしをしているのだろう。私の空想ははてしなく拡がっていった。

by mimishimizu3 | 2008-06-07 14:22 | エッセイ
2007年 11月 11日
夕映えの道
秋も深まってきました。

道を歩いていて、ふと目にした光景ですが、その時、数年前に書いた自分の文章を思い出しました。
よろしかったら、読んでください。

 
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 「夕映えの道」という映画を見た。原作は「よき隣人の日記」というらしい。

物語は、中年のバツイチで有能な、仕事をバリバリこなしていた一人の女性が、ふとしたことでひっそりと暮らす孤独な老女と知り合うところから始まる。
ふと知り合っただけなのだが、近くに住む、その老女をなんとなくほっておけなくなった彼女は、はじめ干渉を嫌う老女に手を焼きながらも、なぜか老女が気にかかり、世話をやく。
一方老女もそんな彼女をはじめはかたくなに拒みつつも次第に心を開き、二人の間に暖かな絆が芽生えてゆく・・・
修理に来た電気屋に「ゴミ溜めみたいな生活だ」といわれる老女の生活。
だが、そんな中でも人間は自尊心だけは失わない。世代を超えた女二人の間に心の交流が芽生えたのは、老女のそういう『自尊心』を彼女が大切にしたからだろう。

木もれ日を浴びながら、二人が散歩する最後のシーンは映像も美しく、胸にせまる。
「どうしたの」と問いかける彼女に老女は答える。「今が一番幸せよ」と。その時、中年の主人公はいう。「信じて。あなたの幸せはわたしの喜びなの」
 
そのせりふを聞いて、私は胸がいっぱいになった。なんと美しいセリフなのだろう。
人間が存在する、それはただ、「あなたがいてくれれば、それだけでいい」という人が一人でもいてくれたらそれでいいのではあるまいか・・・・
 老女の目から涙が溢れる。ギターの曲が流れ、映画は終わった。

 私はまわりの人が立ち上がり、出口に向かうのを感じつつも、椅子から立ち上がれないでいた。全員が出終わってから、ゆっくりとたちあがり、バックを手にした。ふと顔を上げ、私は心臓が止まるかと思うほど驚いた。映画の中の老女がいたのだ!
 よくみると、映画の老女とそっくりな女性が、わたしのすぐ後ろの椅子にいた。そして眼があった。
その老女はすーと流れた涙のあとをかくすこともなくわたしに、静かにゆっくりと微笑みかけた。
その瞬間私とその老女の間にも、映画の中の主人公と老女の間のような確かな連帯が流れたのを私ははっきり知った。
 その老女はゆっくりと立ち上がると、映画とまったく同じように杖をつきながら、一歩一歩かみしめるように歩き、出口に向かった。
私はその後を同じ歩調で歩きながら、背中に向かって心の中で語りかけた。「あなたにもいるのでしょう。信じて。あなたの幸せがわたしの喜びなの、と言ってくれる人が」と。
そうであって欲しい、そうにちがいない、そう心でつぶやきつながら、私は去っていく老女をいつまでも見送っていた。

by mimishimizu3 | 2007-11-11 06:25 | エッセイ
2007年 10月 29日
白い秋
「白秋」という言葉は福岡県の柳川が生んだ詩人、北原白秋の固有名詞とばかり思っていた。それが、秋の異称と知ったのはつい最近のことである。
電子辞書を買い、その中の広辞苑であれこれ出して遊んでいた時、偶然に五行説で白を秋に配する、秋の異称という箇所に出会ったのだ。

そうなのか、秋は「白」なのか、と思った。
青春、朱夏、という言葉は知っていたし、イメージとして、春が青、夏は朱、というのもすぐうなずける。
だが秋はとなると、あまり考えたこともなかった。

「白い秋」

そうなのだ、秋は白なのだ。
そう思って周囲を眺めると、カチーンと音がしそうなほど透明に澄んだ秋の空気の中に、「白」が漂っている。
空の色も、風のにおいも、陽の光も、白の中にきらめいている。

ススキの白も、秋の白の中で揺れている

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白い秋の次には、玄(くろ)い冬がやってくる。
昔はやったオフコースの歌の中に、「さよなら、さよなら、さよなら、もうすぐ外は白い冬」という歌詞があったが、それは、雪のイメージから冬を「白」としたのだろう。
が、冬の季節全体の色としてはやはり黒、というよりやはり「玄」という字を当てる「玄冬」であろう。

私の人生もまもなく冬に入っていくのだろう。玄冬・・暗い、寂しい、玄い冬が来るのかもしれない。
その前に、「玄冬」が来る前に、「白い秋」を精一杯、生きていきたい・・・

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そういえば、毎年柳川で行われる「白秋祭」はもうすぐである。北原白秋の命日は11月2日だったはず・・。
自分のペンネームを「白秋」とつけた北原白秋は、まさに「白秋」の中に、この世を去って行ったのだ。
それもまた、天才的詩人の死に様でもあったのだろうか。
久々に、白秋の詩集をひも解きながらそんなことをふとおもった。

by mimishimizu3 | 2007-10-29 09:14 | エッセイ
2007年 10月 04日
武相荘 (ぶあいそう)
白洲次郎,正子夫妻が住んだ旧居、武相荘のことは以前から聞き及んでいました。

たしか昨年だったと思いますが、福岡アジア美術館で「白洲正子の世界」という展覧会が開かれ、そこでも、武相荘の大きな写真が出ていました。
こんなところに住めたらいいだろうな、という憧れと、その美的センスのすばらしさには感嘆するばかりでした。

武蔵と相模にまたがるところ、それに無愛想をかけてつけられたネーミングも、面白いです。

今回、雨の武相荘に行ってまいりました。


玄関口。
臼がおいてあります。新聞と郵便受けなのですね。
発想の自由さにはっとしました。

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茅葺の母屋にむかいます。
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甘味どころ
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室内は撮影禁止でしたので、外から中の様子をうかがってみました。
葺きかえられたばかりの屋根がとても美しいです。
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雨にも関わらす、見学者は絶えませんでした。
隠れた人気スポットなのでしょう。
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こうしたしっとりとしたところは、雨の日もまたいいものです。
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庭。
散歩道ができているのでしょう。そのほとりに「鈴鹿峠」という石碑がおいてありました。
いかにも、鈴鹿峠に分け入るような雰囲気でした。
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by mimishimizu3 | 2007-10-04 07:45 | エッセイ
2007年 09月 04日
蜩をもとめて
ある方のブログで、蜩がないている、とありました。

蜩・・・ヒグラシ・・・・それを見て、私はしばし感慨にふけりました。
そういえば、私はもう何年もヒグラシを聞いていないのではないか・・
あぶらぜみや、つくつくぼうしはいやというほど聞こえてくるのに、ヒグラシのあの、カナカナカナ、カナカナカナ・・・という鳴き声は、最近聞いた記憶がありません。
そう思うと、矢も楯もたまらず、ヒグラシが聞きたくなりました。

午後遅く、私は年に何回かは訪れる、近くの山の中腹にあるお寺まで行ってみることにしました。

山道にはいると、ひんやりとした風が肌を心地よくなでていきます。
紅葉にはまだまだ早いけれど、それでも、はぜの木は何枚か色づいているのもあります。
季節は確実に巡っているのです。

ふと、雑木の中に、ひときわ目を引く黄色い花を見つけました。
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 (後で調べると、これはカエデドコロというつる性の植物とわかりました)

さらにいくと、マメ科の植物と思われるかわいい花がありました。
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 (これはコマツナギ、という名前のようです)

その写真を撮っている時、私の耳にふと、「カナカナカナ・・・カナカナカナ・・・」という声が聞こえてきました。
私は急いでカメラをしまうと耳を澄ませました。
確かにヒグラシです。

カナカナカナ・・・カナカナカナ・・・・
何故か切ないような、物悲しいような・・・
ツクツクボウシの強烈な鳴き声に混じって、かき消されそうになりながらないています。
カナカナカナ・・・カナカナカナ・・・・

私はそこに立ち尽くしました。

風がさっと来て、樹木をゆすりました。黄ばんだ葉っぱがさらさらっと流れるように落ちてゆきました。
「秋なのだ」
私はそうひとりごち、その1枚の葉っぱを拾いました。

そういえば、ヒグラシは秋の季語。
めぐり行く季節の中で、私はヒグラシの鳴き声に聞き入りました。

by mimishimizu3 | 2007-09-04 06:54 | エッセイ