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2012年 08月 13日
たくさんの思い出とともに
このブログをごらんになられていた皆様へ。

昨日、このブログを更新し続けていた母が亡くなりました。穏やかな旅立ちでした。

今までの御交誼感謝申し上げます。

母の遺志によりこの旨をお知らせいたします。

母にとってこのブログは晩年の生きがいになっていました。

皆様の暖かいコメントに感謝いたします。


息子一同より。

by mimishimizu3 | 2012-08-13 09:29 | その他
2012年 02月 28日
孫とランドセル
孫娘が、この春小学校にあがることになった。
私はかなり以前から、息子に「ランドセルは私に買わせてね」とお願いをしておいた(笑)
孫のランドセルを買う、それは「おばあちゃん」の最大の楽しみであり、喜びでもあるのだ。

特に、私がこだわったのは、息子が40年近く前、やはり小学校に上がるとき買った同じお店で買う、ということだった。
親子2代にわたって同じお店でランドセルを買う・・・・

福岡の老舗のかばん店で買うために、わざわざ東京から福岡に帰省してもらった。
無駄なことかもしれないが、私にとっても、息子にとっても、そしてこのことの意味をいつか知る孫娘にとっても、きっと素敵な語り草になるだろう、そう信じて、孫のランドセル姿に目を細める「オバアチャンバカ」でした・・・・

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重いぞ・・・・
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うれしくってたまりません。
帰りはそのまま背負って帰りました。
食事に立ち寄ったお店ではウエイトレスさんに「小学校に上がると?」と声をかけられ、ニコニコと答えていました。
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一つ困ったことは、地下鉄で帰ったとき、駅員さんから「小学生ですか?」と声をかけられ、「小学生なら子供料金をいただきます」といわれたことです。
事情を話すと駅員さんもニコニコと「おめでとう」といってくださいました。

by mimishimizu3 | 2012-02-28 17:10 | その他
2012年 02月 20日
ブログ7周年!
今日、2月20日は、私が初めてのブログ「一日一枚母への便り」をはじめた日です。
遠くの施設に入っている老いた母へ、自分で写した写真をハガキにして送りました。母が亡くなり、そのブログを閉じてから、しばらくして、「日々の思いを」を立ち上げました。それが満杯になり、現在の「日々の思いをⅡ」になりました。

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  (7年前に初めてアップした写真。鹿児島の撮影会でたくあんにするための大根干し、やぐら大根です)

7年・・・・
長いような短いような・・・

あのころ、ブログが盛んで、特にカメラ仲間との交流は、毎日楽しくお互いブログを訪問しあってはコメントを残し、お互いの感性を学びつつ有意義な時間をすごしました。
今、そのころ交流があった人で現在まで続いている方はほんのわずかです。
多くの方が、ブログの更新がなくなりました。更新される方も、更新の幅は長くなっているようです。

何事も続けていくということは大変なことです。
環境も変わってきます。年もとります。熱も冷めます。マンネリにもなります。続けていく意義を疑いたくもなります。それらを乗り越えて継続していくということはかなりの意志力が必要です。

私のブログ友達は、多くはカメラ愛好家です。
私もそうでしたが、色々なところに出かけ、写真を撮り、それを誰かに見てもらいたい・・・その思いでブログを立ち上げたのだと思います。しかし、7年という年月は思いもかけない方向に人をもっていくこともあります。

私も、もう7年前のわたくしではありません。

17日、「ドレナージ」というエッセイを出しました。
あれは、この7周年を意識してアップしました。これから私がこのブログを続けてゆくのなら、病気のことを隠し通すわけにはいかない・・・・私は以前のように重い一眼を持ってあちらこちらに出かけ、夢中になって写真を撮ることはもう、少なくなってゆくことでしょう。家の中でじっと「文章」を考えているほうが多くなることでしょう。
幸いこのブログのタイトルは「日々の思いを」にしています。
移り行く「時」に感じたことを文章にするのは、私の好きなことです。折々に感じた「日々の思いを」、これからも生きている証として綴ってゆきたいと思います。したがって、私のこのブログは今までとは性格を変え、「文字」の多いブログになるでしょう。
それでもいいと思われる方はどうか、これまでと同じように見てください。

多くの方に見ていただきました。この場を借りてこころから御礼申し上げます。

これからどれほど長くこのブログを続けられるか、それはわかりません。
しかし、なるべくたくさん、《日々の思いを》を記録して残しておきたいと思います。

今、私の胸には一つの小さな夢があります。
今年の春、小学生となる孫娘が成人したあかつき、偶然に私のこのブログを見つけ、「あっ、おばあちゃんだ!」と気づき、このブログを丁寧に読んでくれる・・・・
ブログは滅びません。この世から、私が消えても、ブログは残ります。
本として残すのもいいけれど、今の時代、ブログのほうが邪魔にもならず、周囲の人の迷惑にもならないでしょう。

そんな日の来ることを夢見つつ、このブログはこれからも続けてゆきたいと思います。どうか今までと同じく、よろしくお願いいたします。

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by mimishimizu3 | 2012-02-20 12:12 | その他
2011年 09月 26日
おばあちゃんへ
8月17日のこのブログで取り上げた孫娘が「おばあちゃんへ」といって、私の似顔絵???を送ってくれました。
こんなプレゼントをされると、元気がでます(-^〇^-)

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今日もおばあちゃん馬鹿200%でした(笑)

by mimishimizu3 | 2011-09-26 06:58 | その他
2011年 09月 08日
はらぺこあおむし
先日、あるところでおこなわれた、「昔ばなしを聞く会」に参加してまいりました。

同じ平面で、生の人間の声で話される「おはなし」は、活字を目で追っていく「読書」とはまた違った、独特の魅力にあふれています。
同じ平面で話される「お話し会」は、耳でお話を聞きながらその光景を想像します。それは、話される方の顔の表情、手の動き、目の動きが分かるだけにより重層的に楽しさが増幅されていきます。

特に、この「お話し会」の特徴は筑後に伝わる昔ばなしを「筑後弁」で話されることです。
筑後には博多弁とはちょっと異なる独特の「筑後弁」があります。
その土地、その土地のお話は、その土地の言葉で語られるのが一番です。
ちょっぴりわからない箇所もありましたが、それもまた一興でした。

最後に、昔話ではありませんが・・・と言われてエリック・カールの「はらぺこあおむし」を出されました。
英語も勉強されている方なので、アメリカで出された原典を持っていらっしゃいました。
はじめにそれを英語で読まれてから(なにしろ幼児向きの絵本ですから、英語といっても誰にもわかる簡単な英語です)、次に日本訳も読んでくださいました。原典と日本語訳の違いがわかり、これもとても面白く聞きました。

「はらぺこあおむし」
1969年にアメリカで出版された絵本ですのに、今では世界中の子供を虜にしています。子どもだけでなく大人が読んでもとても楽しい絵本です。
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今年の夏休み、福岡アジア美術館では「おいでよ、絵本ミュージアム」と題して、美術館が絵本の世界に変身してしまいました(笑)
大人気で親子連れて連日賑わいました。
もちろん絵本の読み聞かせも有りましたし、絵本を「作ってしまえ!」というコーナーもありました。
そこで取り上げられたのが。エリック・カールの「はらぺこあおむし」でした。

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どうやら、」お父さんの方が夢中になっているような・・・

出来上がったのがこれ
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おはなしの楽しみも、絵本の楽しみ方もいろいろあって本当に楽しいですね。

by mimishimizu3 | 2011-09-08 21:45 | その他
2011年 08月 24日
ヤギと少女の物語
  ヤギ    えさをくれるのね。早くちょうだい
  少女    でも、怖いよ・・・
  姉      大丈夫、怖くないよ、大丈夫よ

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  姉      ほら、こうしてやればいいのよ

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  少女    こうしてやればいいのね

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  ヤギ    もっとちょうだい・・・
  少女    あと一本だからね・・・どうしょようかなあ・・・

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by mimishimizu3 | 2011-08-24 17:28 | その他
2011年 08月 17日
孫娘
私は、このブログでは、家族のことはなるべく取り上げないようにしているのですが、今日は例外(笑)
200%の<オバアチャンバカ>を発揮して、5歳の孫娘のオンパレードです(^^)v(^_^.)(^.^)!(^^)!

お盆で、家族が帰省してくれて、孫たちと、楽しい夢のような時間を過ごしました。
半年振りに会う孫娘は、見違えるように成長し、私を喜ばせてくれました。
なにより、感性が私ととてもよく似ています。60年以上前の自分を見ているようでした。


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これは水に浮かぶ、大きなボールに入って遊ぶのです。
ボールがあっちこっちに動くので、バランスがとれず、大きな笑をさそっていました。
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おねだりする前のちょっといたずらっぽい顔??
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メリーゴーランドは楽しいですね。夢を乗せて走る、走る・・・
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by mimishimizu3 | 2011-08-17 07:56 | その他
2011年 08月 11日
赤と白
日本列島が、猛暑列島になったようです。
ある人が「ノーミソまでとろけそう・・・」といいましたが、言いえて妙ですね。
連日の暑さ、皆様体調管理にはお気をつけください。


そんな中、オヤッツ・・と思う画像を・・・

さてさて、この赤と白は何でしょうか。


これはやさしいですね。
トマトはすぐわかりますね。
どんな状態なのか、ご想像ください
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トマト一個70円、安いのか高いのか・・・でも最高においしかったです(^_^.)


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アメリカのポップアートの大御所、ウオーホルは、どこにでも売られている缶詰をただただたくさん並べて「芸術」にしました。
ウオーホルがこれをみたらなんというかしら?と考えたら、楽しくなってしまいました。
これだって、写真写りを考えながら、もっとたくさんたくさん並べたら、おもしろい「芸術」になったかもしれませんね(笑)

by mimishimizu3 | 2011-08-11 06:03 | その他
2011年 07月 10日
青春プレイバック  奈良の旅2  恭仁京
聖武天皇は、5年間に4箇所も都を移られました。
奈良北部の木津川の沿岸に作られた都が「恭仁京」です。

万葉集には大伴家持の次の歌が残されています。

    今つくる 久邇(くに)の都は  山川の

       さやけき見れば  うべ知らすらし     巻6  1037

 (今作っている久邇の都は、山川の清らなるのを見るとうなずけます)

しかし恭仁京は天平12年(740)造営され始めたにも関わらず、天平15年には中止され、近江に遷都されました。
わずか、2.3年の「都」だったわけです。
今、その大極殿跡は、家持が歌った自然の美しさはそのままに、静かに眠りについているようでした。


碑も倒れたまま・・・
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2
大極殿跡
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3
礎石
苔むしたまま、1270年以上の時を見つめているのでしょう。
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恭仁小学校
大極殿のとなりには木造の小学校がありました。
木造の校舎、いいですね!
周囲の自然としっくりと溶け合っていました。
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by mimishimizu3 | 2011-07-10 08:38 | その他
2011年 07月 08日
青春プレイバック 奈良の旅1  志貴皇子
“卒業旅行”、その言葉は今では一般的な、よく使われる言葉となりましたし、「卒業旅行」をする人も少なくないと聞きます。
しかし、40年以上前、そんな言葉はありませんでしたし、そんなことをする人もほとんどいませんでした。

40数年前、学生だった私に、卒業を前にして、ある友人が声をかけてくれました。
「奈良に行くんだけれど、あなたも一緒にいかない?」
奈良・・・・それは授業で万葉集を少しばかりかじった私には、本当に憧れの場所でした。行きたい!その思いだけが強く胸に迫ったことを、今でもはっきりと思い出します。
私はその「卒業旅行」に参加しました。
今ではなくなってしまった「日吉館」という、有名だった安宿に泊まり、私たちは“山の辺の道”を歩き、長谷寺に行きました。

私の青春の懐かしい、忘れられない思い出の1ページです・

今年の年賀状に、ほとんど音信が途絶えてしまった中で、数少なく年賀状のやりとりだけが続いていた、そのとき一緒だったYさんが「奈良に行くんだけど、あなたも一緒に行かない?」と一行書き添えて有りました。

40年以上経って、また同じ体験ができるのか!
私は今度は即座にOKの返事をしてその日を待ちました。

一人は東京から、一人は埼玉から、一人は広島から、そして私は博多から。

同じ学窓を出たかつての「乙女たち」が4人、京都に集まるのです。
そのうちの一人は私はまさに卒業以来初めて。指定された集合場所で立っていても、どの人がそうなのか・・・私とわかってもらえるか・・・
しかし、「○○さん・・?」と私の旧姓で声をかけられて、私も「ああ・・○○さん!!」と彼女の旧姓で呼んだ瞬間、40年以上の時間は、一瞬にして飛び去りました。
それは本当に不思議な体験です。40年以上という時間がにまさに一瞬にして飛び去ってしまい、昔の、学生時代の「級友」にもどるのです。

40年超という時間は決して短いものではありません。
同じ学窓を巣立ち、それからそれぞれの人生を歩んできたのです。
誰だって一つや二つの山を超え、一つや二つの谷をくぐり抜け、一つや二つの嵐をもなんとかやり過ごして人生を歩んできたのでしょう。でも、京都駅で再開したとき、それら全ては忘れ、昔の友人がそこにいました。

学生時代に戻り、「青春プレイバック」奈良の旅が始まりました。

数回に分けて、青春プレイバックの旅をこのブログに残したいと思います。

カメラはIXY.コンパクトデジカメ、記念にとっただけの写真です。
初回は万葉集に出てくる「志貴皇子(しきのみこ)」関連をアップします。


志貴皇子(しきのみこ)と言えば、私は高校の教科書に載っていた次の歌を忘れることはできません。

   石(いわ)ばしる  垂水の上の さわらびの

     萌えいづる  春になりにけるかも
 
 (岩の上を流れる滝の上に蕨が芽をだした、春になったのだなあ・・・)

この歌を読んだとたん、すがすがし水の音と目にも鮮やかな緑の蕨が目に浮かびました。
素晴らしい自然詠ですね。


志貴皇子は生前天皇になることはありませんでした。しかし、死後50年も経ってから、子どもの白壁皇子が62歳で光仁天皇になったため、春日宮田原天皇の追尊を受けました。
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2
田原西陵
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息子の白壁皇子、つまり光仁天皇陵
陵はどれも似た形ですね。
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近くに、古事記でおなじみの太安万侶の墓があると分かり立ち寄って見ました。


太安万侶は一時期、実在した人物かどうか疑われたこともあったそうですが、茶畑のなかから墓碑が発見され、たしかに実在したことが証明されました。

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丸い墳墓の前には近くの人が供えたのでしょうか、お花も供えられていました。今でも山深いこの地の人にとって、大切に守られていることにほっとしました。

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by mimishimizu3 | 2011-07-08 21:28 | その他