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2012年 04月 30日
春の雑草 Ⅲ コバンソウ
ある日、山の中でキツネの坊やのキン太と、タヌキの坊やのポン太がばったり出会いました。
キン太がポン太にいいました。
「オマエ、なんか化かすことできるのか?」
タヌキのポン太はいいました。
「できるとも!おいらはなんだって化かすことできるのさ」
するとキツネのキン太は調子に乗って、「じゃあ、葉っぱを小判にしてみろよ」といいました。
ポン太はその辺の葉っぱを取って、一生懸命おまじないをかけました。が、葉っぱは小判になってくれません。
それを、ニヤニヤと見ていたキン太がいいました。
「おれ様は、小判など簡単にできるぞ」

キツネのキン太は、後ろ手に、そっとコバンソウを隠して持っていたのです。そのコバンソウは、お父さんのキツネから、タンポポの汁をたくさんかけてもらい、きらきら光っていたのです。だから、本当の小判のように見えました。

「エッヘン!これはコバンであるぞ!」
キツネのキン太は得意になってタヌキのポン太に見せました。
ポン太は目を丸くして驚きました、本当に小判のようです。

「すごいなあ・・キン太くんは、化かすの上手だねえ・・・さすがきつねだねえ・・・」

でも、そのとき、急に雨が降ってきました。
キン太の持っていたコバンソウにも雨が当たり、たちまちタンポポの汁が溶け出し、流れていきました。

そこにはその辺にいっぱい咲いている、普通のコバンソウがあるだけでした。

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「なあんだ・・・普通のコバンソウじゃないか・・・」
タヌキのポン太がそういうと、キツネのキン太は顔を赤くして、すごすごと、尻尾を巻いて山に帰っていきましたとさ。

オシマイ。

by mimishimizu3 | 2012-04-30 09:12 | 童話
2012年 04月 29日
春の雑草Ⅱ ムラサキケマン
華鬘(けまん)とは、仏殿などに飾られる装飾具のことだそうです。
日陰にひっそりと咲く、この雑草のどこが華鬘ににているのか、私にはよくわかりませんが、
こんな雑草に、立派な仏具を重ね合わせた先人たちの信仰心の篤さを思います。

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by mimishimizu3 | 2012-04-29 09:11 |
2012年 04月 28日
春の雑草 Ⅰ コメツブウマゴヤシ
   この《雑草》の前で
   
   踏み潰すことを躊躇する人は
   いるだろうか・・・・

   踏み潰して 当たり前 
   踏み潰されて 当たり前

   そこに  コメツブウマゴヤシが
   命を輝かせていることすら

   誰も 気づこうともしない

 
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   踏み潰されて当たり前の《雑草》は
   しかし、明るい春の日差しのもとで

   楽しそうに
   春の歌を歌っていた

by mimishimizu3 | 2012-04-28 16:51 |
2012年 04月 26日
ちゅーりっぷ
 チューリップは 
   ちゅーりっぷ と
 たどたどしい 
   ひらがなで書かれたとき
 その可憐さが よりいっそう増すのではないだろうか

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  シンプルな姿
    はっきりした色

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孫が書いてくれた ちゅーりっぷの絵を見ていたら
そんな気がしてきた

by mimishimizu3 | 2012-04-26 09:51 |
2012年 04月 23日
花降る街  花みずき通り
ハナミズキが美しく咲いています
花水木、なんと、詩的な名前を付けてもらったのでしょうか。
字面だけでも引寄せられます。

花水木は秋には紅葉しますし、赤い実もつけます。一年で2度楽しめる花です。

街路樹にしているところも多いとか・・・

福岡にも城南区七隈に「花みずき通り」と名づけられた通りがあります。

まだ、幹周りもそんなに太くなく、したがって花もまだまだ少ないのですが、あと数年して、木が大きく育ったら、ここはきっと多くの人が訪れることでしょう。


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街撮りは、電線との戦い???
少ない場所を探しても、そうそうあるわけではありませんからねえ・・・(笑)


フレッシュマンどうしでしょうか、堂々と手をつなぎ・・・
花水木の花言葉は「私の思いを受けてください」だそうです
この若い二人に幸多かれ!!

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ピンクの花水木もきれいです

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「しあわせの黄色いポスト」もありました。
もちろん、現役で活躍中です。
このポストに投函すると、「しあわせ」もいっしょに届けられるのかな??

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by mimishimizu3 | 2012-04-23 08:48 | 福岡
2012年 04月 21日
桜散るころ
 清潔感あふれる明るい病院の待合室は、静謐な空気が漂い、クラシック音楽がかすかに流れていた。
最近は予約制が確立されたせいだろう、待合室がごった返すということはなく、いつも数人が電光掲示板に示される自分の番号をおとなしく待っている。

 私も椅子に腰掛け、ぼんやりと順番を待っていた。
 私の前には、私より年長の、多分80代と思われる、こざっぱりとした身なりの、横顔が上品な女性がひとり、杖をわきにおいて座っていた。
 電光掲示板が変わり、その女性の番号が示されたのだろうか、杖を突いてゆっくりと立ち上がると、ふと後ろを振り返った。私の目と女性の目がきりっと合った。
 彼女はふと寂しそうな笑みを浮かべると、なぜか私に会釈した。私も釣られてあわてて会釈をかえした。
たったそれだけのことであった。いや、それだけのことであるはずだった・・・

 ほどなく、診察室から女性が戻ってきたとき、その顔はさっきよりさらに寂しそうだった。目元が潤んでいるようにも見えた。私は無意識のうちに近寄り、彼女に手を添えた。
しかし、その時、電光掲示板が変わり、私の診察の番号を示していた。私は、彼女から手を離し、「お気をつけて・・・」というのが精一杯だった。
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 私の定期健診は簡単に済み、いつもの薬の処方箋が出されたが、その日、私は月1回の、ある定期的な点滴を受けることになった。約1時間もかかるその点滴は、処置室で行われ、私はベッドに横になって目をつぶっていた。点滴が終わり、私はロビーに向かった。
 その病院は建て替えられたばかりで、窓が大きく、通路と一体となったロビーにはおしゃれなソファーやテーブルまで置いてある。私を迎えに来てくれる家族との約束の場所もそのロビーであった。
 そこに、私は先ほどの女性が一人ぽつんと座っているのを見た。私が点滴を受けている約1時間の間、彼女はそこにいたのだろうか・・・私は吸い寄せられるように、そばに座った。彼女はほっとしたように、くちもとをほころばせた。

 窓の外には、桜が揺れていた。盛りはもうとっくに過ぎ、少しの風にも、はらはらと花びらが舞っていた。
 「もう、桜もおわりですね・・」彼女は静かに言った。
 「そうですねえ・・」私も静かに返した。短い命だ。もしかしたら、期せずして、二人とも同じ思いを感じていたのかもしれない。
 私は、1時間もの間、一人でそこに座っていたのか、という喉まででかかった質問をかろうじて飲み込んだ。
しばらく沈黙が続いた。
 彼女は、ふと言いよどむように、口ごもった。そして思い切って話すように私にいった。
 「あなた、四苦八苦って言葉、ごぞんじですよね」
 私はびっくりした。いきなり、何を言い出すのだろう。私はてっきり、身の上話でも聞かされると思っていたのに・・・・
 
 「四苦八苦ですか・・・たしか・・・」
 私は以前友人とそんな話をしたことを思い出した。確か、仏教から出た言葉ではなかったか。
 「たしか・・・ショウ、ロウ、・・・」と私が言い出すと、女性はその言葉を引き取るように言った。
 「そう、生、老、病、死ですよね。生きることは苦しい、老いることは苦しい、病気になることは苦しい、そして死ぬことはもっと苦しい・・・私は、老いて、病気になって・・・生きているってつらいですね。」
 女性は目を落とし、うつむいた。でも、そんなことを言われれば、私だって《老いて》《病んで》いるのだ。病院に来る人は病んでいるから来るのだ。《死》についてだって、私の脳裏にはいつもあると言っても過言ではない。いつ、どこで、どんな《死》を迎えるかは誰にもわからないが、《死》はいつか、確実にやってくる。
 「四苦」は人間、皆背負っているのだ。
 私が黙り込むと、女性はまた静かに言った。
 「ごめんなさい。いきなりこんなこと言って・・・驚かれたでしょう。私、ずっと誰かに話したくって・・・最近、誰とも話していないので・・・」

 そのとき、私の目の隅に、迎えに来てくれた家族の姿が入った。私はちょっと片手を上げ合図をした。
 それを見ていた女性が言った。
 「お迎えですか・・」
 私がかすかにうなずくと、女性は一瞬躊躇したようだったが、小さな声でつぶやくように言った。
 「私も、ムスメがここに迎えに来てくれるんです」
 それを聞いて、私はほっとした。
 「そうですか、それはよかった。ではまたいつかお会いしましょう」
 私はそういって立ち上がった。点滴のあとのけだるさもあった。早く家に帰りたかった。

 会計を済ませ、病院の玄関を出ようとしたとき、さっと風にあおられた桜が私の顔に当たった。
桜散る・・・
 薄紅色の小さな花びらを私は見詰めた。桜は短い命を生き切って、いさぎよく散ってゆく。その舞姿のなんと美しいことか!
 帰りの車に乗り込むと、病院の周囲のたくさんの大きな桜の樹が、あたかも争ってでもいるかのように散り急いでいた。桜吹雪・・・見とれていた私は、ふと雷にでも打たれたように「あっ」と思った。

 あの女性は「ムスメ迎えに来てくれるんです」といったけれど・・・
 それは、ほんとうのことだったのだろうか・・・最近、誰とも話していない、といったのは何だったのか・・・
 もしかして、私を安心させるための方便ではなかったか・・・

 散り行く桜を見ながら、私は「四苦八苦」と言う言葉を反芻した。
 生、老、病、死・・しかし・・・
 「四苦」のほかに人間にはさらに「弧」という苦しみがあるのではないか・・・
 あの女性は、もしかしたら一人で病院に来て、一人で診察を受け、一人で帰っていくのかもしれない、私はふとそんな気がした。

 2500年前のお釈迦様が生きていた時代にはあるいはなかったかもしれない「孤独」という苦しみが、今の日本には存在している。
 私は女性の寂しげな表情を思い浮かべた。
 そして、いや、そんなことはない、と、自分の考えを強く否定した。
 あの女性はたしかに娘さんがいて、病院に迎えに来てくれるのだ。だから、1時間以上もロビーで待っていたのだ・・・何らかの理由があって、最近その娘さんとも意思疎通ができなくなっていたかもしれないが、でも、母と娘、本来は仲むつまじいに違いない・・・
 私は強いてそう思った。

 桜吹雪が私の乗った車を追い越して行った。
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by mimishimizu3 | 2012-04-21 08:25 | エッセイ
2012年 04月 19日
バブルの落とし子 ふれあい橋
約30年前の、日本のバブル景気とは一体なんだったのでしょうか・・・
お金が有り余り、行政は「ハコモノ」をたくさん作りました。今、その維持管理費が重くのしかかっていると、テレビが放送していました。

この橋もまた、バブルの落とし子といっていいでしょう。
博多湾を埋め立て、人工の都市を作り・・・・

とてもおしゃれなきれいな橋です。
上と下、二重になっています。「ふれあい橋」などというありきたりの名前を付けられています。
通れるのは上も下も、人間と自転車だけ、何故、二重にしなければならなかったのか、私にはよくわかりません。
でも、通っていると、楽しくなるし、遠くから眺めてもきれいだから、それだけでいいか・・・

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by mimishimizu3 | 2012-04-19 11:02 |
2012年 04月 17日
福岡ドームとウコン桜
福岡ドーム近くの、百道中央公園のウコンさくらが、今、見ごろを迎えていますよ・・・・
友人がうれしい情報を届けてくれました。

御衣黄桜は、このブログでも2007年4月9日にアップしています。
ソメイヨシノが終わったころ、緑色の変わった花を咲かせる桜です。

それとよく似たウコン桜は、緑がそう濃くはなく、地味な感じがしました。

でも、ドームとウコン桜という珍しい取り合わせが面白く、明るい春の日を堪能いたしました。
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ドームの中ではちょうど対ロッテ戦がおこなわれていたようです。
でも、そんなことは関係なく、暖かな日差しを浴びて、草野球をする一団がいました
これもまた、これでいいものですね。

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おまけ

ドーム近くに行くと、いつもそばに行って、見上げてしまいたくなる彫刻があります。
ニキ・ド・サンファール
「大きな愛の鳥」
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元気の出る彫刻です。

by mimishimizu3 | 2012-04-17 10:23 | 福岡
2012年 04月 15日
車椅子の母と・・・
母親を車椅子に乗せ、近くの橋の上で、二人だけの静かなお花見をする娘さん・・・

柔らかな春の光が、よりやさしさを湛えていました

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by mimishimizu3 | 2012-04-15 10:13 |
2012年 04月 14日
「桜の樹の下には」・・・
     「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
      これは信じていいことなんだよ。
      何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲く
      なんて信じられないことじゃないか。
      俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不
      安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た
      桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」

こんなぎょっとする、恐ろしいことをサラッと書いたのは、昭和7年、31歳の若さで、肺結核で死んだ梶井基次郎である。

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私が梶井基次郎の作品にはじめて触れたのは、高校の国語の教科書に載っていた「檸檬」であった。
梶井の代表作とされる「檸檬は」、しかし、高校生の私にとっては、何度読んでもよくわからない小説というか、散文詩であった。
難しい言葉も多かった。舞台となった京都にも私はそのころまだ行ったこともなかった。レモンを置いてくる、「丸善」という書店についても私には何の知識もなかった。

今、読み返してみても、「檸檬」は結構難しい作品といえるだろう。
作者の言わんとするところ、一種独特な感性を持ったこの文章を完全に理解するには、読み手の側の相当高度な感受性が必要なのではあるまいか。
ただ、高校生の私が、この作品の中で、リアリティを持って理解できたところが1箇所だがある。
それは結核のため微熱を持った主人公が、冷たいレモンを手に握り締め、その冷ややかな感触を楽しむ、というところであった。私は、熱を帯びた男の手の中で、レモンが、その熱を吸い取り、だんだんとぐったりし、ぐにゃっとしていくさまを思い浮かべた。
その感触をもったまま、図書館で借りてきた梶井基次郎の本の中にあった、「桜の樹の下には」は、だから、妙にレモンがぐったりしていくさまと、桜の樹下に埋められた死体が腐ってゆくさまが私の中で呼応したのかもしれない

私には、たくさんの木がお互い咲き誇っている桜並木などでは、梶井基次郎を思い出すことはなかった。

しかし・・・

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「一本桜」と呼ばれるこの桜を遠くから眺めたとき、その美しさにあっと息を呑み、思わず駆け寄り、近くで見上げ、呆然となった。そして次の瞬間、私はふと桜の根元を見詰め、そして反射的に「桜の樹の下には」という梶井基次郎の文章を思い出し、そして背筋がぞくぞっくと寒くなった・・・・

樹齢300年といわれるこの「一本桜」は長い年月、誰からも注目もされず、風雪に耐え、生き延びてきたのだろう。
そしてあるとき、村人がその美しさに気づいたのだろう。
美しく成長した「一本桜」を見上げ、村人は何をおもったのだろうか・・・

一本桜は妖しい美しさをもって村人を魅了したに違いない。
単に「きれい」「美しい」といって済ましてしまうには、物足りない何かがこの桜にはある。
人の心をとろけさせてしまうような、今まで見たこともない異次元の世界に引き込まれていってしまうような・・・
そんな「妖しさ」をもった「一本桜」だ。

梶井が言うように本当の「死体」が埋まっているとは思わない。
けれど「死体」が埋まっていて、その養分を吸い取って桜がこんなに「妖しく」美しく咲いている、といわれても、ふっとそれを信じてしまいたくなる何かがこの桜にはあるような気がする。

「桜の樹の下には」は梶井基次郎という繊細な、鋭敏な神経の持ち主によって初めて言語化され、作品化された。そしてそれは、その後多くの人の心に、「うーーん」とうならせるものを、ぽとりと落としていった。

一人の熱を帯びた作家の感性の大きさを、今、私はしみじみと思っている。

by mimishimizu3 | 2012-04-14 08:45 | エッセイ