2012年 02月 05日
レインボーブリッジ
      
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    そらのゆめ
     みずのゆめ
    とりのゆめ
   
   ゆめとゆめ
    さわやかに 
     しなやかに 
  
   ゆったりと
    ふかぶかと
     いきついて 

   むすびます
    にじのはし

     レインボーブリッジ   

# by mimishimizu3 | 2012-02-05 15:11 |
2012年 02月 03日
春立つ今日の・・・
今日は節分、明日は立春です。
それにしては、日本列島寒波襲来、本格的な冬将軍に居座られて、豪雪地帯では大きな被害も出ているとのこと、これ以上の被害が拡大しないことを祈ります。
福岡でもちらちらと雪が舞いました。

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立春とは程遠い感覚ではありますけれど、しかし、今年、私は、この日の来るのを例年になく、今か、今かと待ち望んでおりました。

「春になったら会いましょうね」
「暖かくなったら食事会をしましょう・・・」
「桜が咲いたら、女子会よ・・・」
そんなたくさんの友から励ましの言葉をいただき、「春よ来い、春よ来い・・」と思っていたのです。

「春立つ今日・・・・」

古今集は、2番目に「春立ちける日よめる」として次の歌があります。

  袖ひちて むすびし水の 凍れるを

    春たつ今日の  風やとくらむ         紀貫之

(そでの濡れるのもいとわず手で掬った、あの水は、冬の間は凍ってしまっていた。しかしそれも、立春の今日 の風が解かしてくれるだろう)

若いころ、この歌を見て、なんて屁理屈だけの歌なんだろう、立春の日といったって寒い日もあるだろうに、現実味のない、観念だけで作られた歌!とばかり思っていました。
しかし、年を重ね、この年になり、この歌をしみじみ声に出して詠んで見ると、昔の暖房も何もない時代、「春」は今の私以上に切実に待ち焦がれていたのだろうと思うようになりました。
現実は雪が降ってまだまだ寒さが厳しい、でも暦の上だけでも春がやってきた!
それは待ち焦がれていた春の足音を聞く日だったのかもしれません。

「春立つ今日・・・」

そう思うだけで、私も、私の心の中にわだかまっていた何かを少し、ほんの少しだけでも解かしてもらえたような気がします。
春はもう、そこまで・・・・

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# by mimishimizu3 | 2012-02-03 11:54 | 季節の挨拶
2012年 02月 01日
きさらぎ
一月は「行く」、二月は「逃げる」、三月は「去る」、といわれますが、本当に月日のたつのは早いもの
つい先日、お正月を迎えたと思っていたのに、今日はもう2月

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きさらぎ 
如月

きさらぎといえば思い出す歌があります。

   ねがわくは 花の下にて 春死なん
     
       そのきさらぎの  もちづきのころ

                                 山家集   西行

西行は今、NHKの大河ドラマ「平清盛」にも出てきていますね。
今はまだ「佐藤義清」(さとうのりきよ)、北面の武士として出ています。いつ、出家して「西行」になるのか・・・
伝わっている逸話によりますと、出家するとき泣き叫ぶ女の子を縁先から突き落として出て行ったとなっていますが、ドラマではどんな風に描かれるのか・・・興味津々、楽しみにしています(^_^.)!(^^)!

それにしても西行のこの歌
やはりうまいですねえ・・・西行はやはり才能豊かな歌人でした。

なによりこの歌のとおり、本当に、陰暦の2月16日、享年73歳でなくなったとのこと、
自分の死の日まで、念ずればそのとおりになるのでしょうか・・・・
最近、気になる歌ではあります。

# by mimishimizu3 | 2012-02-01 10:06 | 季節の挨拶
2012年 01月 30日
ヒメツルソバ
きっと  暖かい春の日に 風が吹き
ヒメツルソバの種が 
この狭い 暗い 小さな塀の隙間に
落とされていったのだろう

種は暗い中で 目を覚まし
懸命に根を生やし
光の方へ 光の方へ 茎を伸ばし・・

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冬の寒風が吹きすさび
雪催いの空の下で

ヒメツルソバは 花をさかせた

伸びようとする 意思
生きようとする 命

北風の中で ヒメツルソバは
静かに そして 
凛とした強さを持って
「命」を 語りかけている



おまけ

ある方のブログを訪問していましたら、素敵な言葉に出会いました

「こころを明るくするには、根拠なしに明るい未来を信じることです!」

根拠なしに・・・・なんと都合のいい、やさしい、暖かい言葉なのでしょう。
私も「根拠なしに、明るい未来を」信じることにしました!(^^)!!(^^)!

# by mimishimizu3 | 2012-01-30 09:41 |
2012年 01月 28日
縁切り地蔵
縁結びの神様、というのはあちらこちらにあります。
「縁結び」という言葉を聞くだけで、暖かい出会い、出会ったカップルの幸せそうな姿まで思い描かれ、心がホコホコしてきます。

しかし、人間とは、そう簡単ではない、結構ややこしく難しいものです。
縁あって結ばれた二人が、その後うまく行かず、「縁を切りたい」と思うことだってあるでしょう。
離婚というのは、結婚より数倍の労力が要る、と聞いたことがありますが、確かに「縁を切る」というほうがさまざまな問題が山積して、難しいものかもしれません。

縁結びと反対に「縁切り地蔵」というお地蔵様が福岡の郊外にあります。
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ここでは「ある事情」とぼかしていますが、その事情とは、夫となるべき人が婚儀の直前、別の女と出奔し、それを悲しんだ新嫁がその場で自害して果てた、ということです。
それを哀れんだ土地の人が手厚く葬り、そこから男が別の女に惹かれていかないように・・・その女と別れてさせてあげてください・・という願望が、いつの間にか「縁切り地蔵」となったと言われています。

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ここにいくと、人間のすさまじい一面を見るような気がします。
この写真の「祈願書」の二人は、同姓でした。正式に結婚したカップルなのでしょう。堂々と本名を書いています。私がブログで出すにはいかがかとぼかしたのです。
いったいこの「祈願書」を書き、ここに持ってきて、お堂の中に貼ったのは誰なのでしょう。
この二人のどちらかなのか、あるいは夫の愛人なのか、妻の不倫の相手なのか・・・あるいは財産がらみの親族なのか・・・想像は膨らみます。
「縁切り」「縁切り」「縁切り」・・・とこれだけ青白い、不気味な情念を燃やしつづけて、何回も、何回も書き続けるのは相当の心の強さがなければできないことでしょう。

一方、人間が「縁」を切りたいのは何も人間関係だけとは限りません。
病気との縁も切りたい、薬物依存から逃れたい、暴力団との縁も切りたい・・・さまざまな切実な「縁切り」願望があります。
そうした「縁切り」の願いが狭く、決してきれいとは言えないお堂いっぱいに貼られています。

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私も病気との縁が切れますように・・・と祈ってきました。
私が行ったとき、ちょうど高齢の女性がが一心に祈っておられるところでした。祈りがすんでお話を伺ったところ、自分の腰痛から縁が切れますように、ということと、最近孫娘がバイクに凝っているので、バイクとの縁が切れますように、と祈っていたとのことでした。そしてこの「縁切り地蔵」さまは霊験あらたかだから、きっと願いをかなえてくれますよ、といわれました。
遠くは北海道、沖縄からもお参りがあるとのこと、縁結びはどこにでもあっても「縁きり」を願うところは少ないのでしょう。

皆様にはなにか「切りたい縁」がありますか。
そんなの何もない、といわれる方はきっと幸せな生活を送っていらっしゃるのでしょうね。

# by mimishimizu3 | 2012-01-28 10:01 | 福岡
2012年 01月 25日
冬来たりなば 春遠からじ・・・
ただいま、二十四節気の「大寒」
その名のとおり、日本中が大寒波に見舞われているようです。
東京でも積雪があり、大きなニュースになりました。皆様のところはいかがですか。

福岡でも、ちらほらと風花が舞いましたけれど、積もるほどのことはなく、ただ、ただ暗く、寒い日が続いています。

そんな時、思い起こすのが

「冬来たりなば  春遠からじ・・・」

先日、ドウダンツツジが「角」を出しているのを見ました。
「角ぐむ・・・」

春はもうそこまで・・・・

厚い雪雲にもめげず、春を待つことといたしましょう。

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# by mimishimizu3 | 2012-01-25 10:46 | 季節の挨拶
2012年 01月 22日
冬のあじさい
誇りやかに 
咲き競った日々もあった

それは そう遠くない過去の日

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今 色も香りも失い
見る人もなく 藪影に
息を潜めて 枯れてゆく

冬のあじさい


omake・・・・・
竹林の隅に、赤い実の付いた枝が捨てられてありました。
少しばかり拾ってきて、玄関に飾りました。

ヒヨドリジョウゴではないかな、と思うのですが・・・・
もし間違っていたら、教えてください。

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# by mimishimizu3 | 2012-01-22 16:09 |
2012年 01月 21日
南蔵院 五百羅漢
篠栗南蔵院には五百羅漢もあります。
五百羅漢は一人一人の顔としぐさを見ているだけでも楽しいです。
特にここのはユーモラスの羅漢様が多いようでした。


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羅漢様といえば、私は以前見た、田中絹代主演の古い映画を思い出します。
昭和27年に製作された、「西鶴一代女」
溝口健二監督のものです。
冒頭、夜の女にまで、落ちぶれてた主人公が、荒れ寺の羅漢像を眺め、かって関係があった男の顔に重ね合わせていく、そこから一気に回想場面になってゆき、純情な乙女が運命に翻弄され、人生の階段を落ちてゆくさまが描かれます。
封建制社会への痛烈な批判とともに、悲しい女の物語、そして田中絹代の名演技が印象に残りました。
羅漢様は本当によく見ると誰かの顔に似ているのかもしれません。

# by mimishimizu3 | 2012-01-21 17:19 | 福岡
2012年 01月 19日
篠栗南蔵院 涅槃像
福岡市内からさほど遠くない篠栗の南蔵院というお寺に、ブロンズ製としては世界最大と言われている涅槃像があります。
全長41メートル、高さ11メートル、重さ300トンだそうです。
暖かな日,久しぶりに外出しました。


涅槃像全体
大きすぎてカメラに収まらないくらいです。
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2
仏足跡、爪の裏
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仏足跡全体はこうなっています。
色々意味があるのでしょうが、説明文を読んでもよくわかりませんでした(笑)
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特に法輪のところを拡大してみると・・・・
あれあれ・・・こんなところにも5円玉が・・・
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お釈迦様ははいいお顔をしていらっしゃいます。
飛行機雲に見守られながら、穏やかな、平和なときをすごしておられるのでしょう。
こころがふーと軽くなっていくようでした。
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# by mimishimizu3 | 2012-01-19 10:14 | 福岡
2012年 01月 17日
童話 月とウサギと鐘 後編
昨日の続きです。
昨日の分を読まれてない方は前編からお読みくださいますようお願いいたします。


 三日月とウサギと鐘は家の外に出ました。外は気持ちのいい風が吹いていました。空にはほんもののお月さまがこうこうと輝いています。村は静かで物音もしません。
 三日月とウサギと鐘は並んでテラスに出ました。ウサギの長い足が鐘にちょっと触れました。
 その時です。鐘がやさしい音をだしたのです。「あっ、鐘さん、いい音!」ウサギは思わずそういうとうっとりと聞き入ってしましました。「本当だ、きれいな音ですね」三日月もうっとりしました。
「ウサギさん、もうすこし私に触れてくれませんか」と鐘がいいました。ウサギはあんまりすてきな音だったでもっと聞きたくなり、長い手で鐘にそっとさわりました。すると、鐘はさっきよりもっとやさしい、美しい音色をだしたのです。それだけではありません。ウサギがぽん、ぽん、と鐘のあちこちをやさしくさわると、すばらしい音楽がかなでられたのです。
 それは、それまで誰もきいたことのないような、澄んだ、美しい音楽でした。誰の心をも暖かいものにして、もし、悪い心を持った人がいたら、その悪いものを流してしまうほどの音楽でした。
 その音楽は夜の風に乗って流れていきました。クロウナガンさんのかなり離れた隣の家から人が出てきて、びっくりしたように鐘を見つめました。「なんて美しい音楽なんだろう!」隣の人はそういうと、涙を流しました。  そして、しばらく鐘の音楽に聞き入っていたかと思うと、家に行き、パンとりんごを持ってきてクロウナガンさんにあげてほしいと、鐘の前におきました。
 次の夜、ウサギと鐘の作り出す音楽は隣の村にも届きました。隣の村から人がやってきて、みなうっとりと音楽に聞き入っていました。そして多くの人が、クロウナガンさんのために、パンやチーズや牛乳やりんごを鐘の前においていきました。
 クロウナガンさんは、それらのパンやチーズやりんごを食べて、だんだんと元気を快復していきました。
ウサギと鐘と三日月の評判はどんどん広まっていきました。遠いところからも人がたくさん鐘の音楽を聞きにくるようになりました。そして、食べ物だけではなくお金を置いていく人もあらわれました。

 クロウナガンさんはすっかり元気になりました。すると粘土をたくさん買いこんできたのです。もっともっと鐘を作って、音楽を鳴らし、もっともっとお金もうけをしようという心が起こってしまったのです。
 クロウナガンさんは鐘とウサギをたくさん作りました。
 でも、クロウナガンさんがいくら一生懸命、鐘とウサギを作っても、どの鐘もウサギも動きません。「いのち」がないのです。それもそのはず、音楽をかなでた鐘とウサギと三日月はほんもののお月さまから「いのち」をいただいたから音楽がかなでられたのです。それはクロウナガンさんを本当に愛したウサギと鐘と三日月を、ほんもののお月さまが見届けてくださったからなのです。
 いくら作っても音楽を出さないと判るとクロウナガンさんは怒りだしました。そして、「そんなもの出て行け!」と怒鳴りました。
 ちょうど満月になっていました。
 空のお月様はクロウナガンさんの家の窓を覗き込み、ため息をつきました。そして、あの時と同じような光の帯をすーと、クロウナガンさんの家の窓にさしいれると、音楽を奏でたウサギと三日月をすくい上げ、ひかりの帯に乗せ、空高く、自分のところまで運びました。三日月はほんもののお月様の中に入り、お月様の一部になりました。ウサギもお月様の体のなかにはいりこみました。お月様に抱かれてウサギは今でも元気です。
 鐘はどうなったでしょう?
 鐘は、音楽も出さないまま、クロウナガンさんの家の庭にいまでもいます。ただ、月が出るとなんとなく、悲しそうに泣くような声がきこえるといううわさがいつのころからかたつようになりました。
 クロウナガンさん?クロウナガンさんがその後どうなったか、誰も知りません。月とウサギが本物のお月様のところに行ったその日から、クロウナガンさんの姿は誰も見たことがないのです。どうしているのでしょうねえ・・・

# by mimishimizu3 | 2012-01-17 15:59 | 童話
2012年 01月 16日
月とウサギと鐘
童話。
月とウサギと鐘。前編

 むかし、イギリスのある小さな村のはずれに、クロウナガンという男の人が一人で住んでいました。クロウナガンさんは彫刻家でした。
 彫刻家というのは、粘土や石や木でいろいろなものをつくり、形にしていく人のことです。クロウナガンさんも、粘土で形を作り、石膏(せっこう)で型を取り、ブロンズという金属で仕上げていっていました。
 クロウナガンさんがよく作るものは、月とウサギと鐘でした。月はまあるい満月よりも、三日月が好きでした。 ウサギもつくりました。でも、クロウナガンさんのつくるウサギは本物のウサギとはだいぶ違っていました。手も足も長いのです。胴体も長く、顔と耳はウサギらしいのですが全体はなんだかウサギらしくないウサギでした。鐘も好きでした。教会の屋根にあるような鐘をていねいに作りました。
 
 でも、クロウナガンさんははじめから彫刻家になったわけではないのです。小さい頃から粘土遊びの好きだったクロウナガンさんはお父さんにいいました。「私は彫刻家になりたいのです」。するとおとうさんはすぐにいいました。「ダメだ。彫刻家になんてなったって、食べていくことはできない。おまえは法律家になりなさい」
 クロウナガンさんは法律の勉強をしました。学校を出て、お父さんの言いつけどおり法律家になりました。でも、ちっとも楽しくないのです。夜、空に浮かぶお月さまを眺めては、三日月を作りたいと思い、野原に出かけ、元気にぴょんぴょん飛ぶ野うさぎをみては、ウサギをつくりたいと思いました。教会があると、その屋根をみあげ、鐘をじっと見つめていました。
 とうとうクロウナガンさんは我慢できなくなり、法律家をやめ、いなかの小さな家に引っ越してきました。
それまでためたお金でなんとか生活しながら、こつこつと月とウサギと鐘を作っていたのです。
 けれど、クロウナガンさんの持っていたお金はどんどん減っていきました。毎日、少しのパンとチーズしか食べられません。クロウナガンさんは日増しに痩せていきました。それでも、クロウナガンさんは幸せでした。月を作り、ウサギを月の上に乗せました。鐘も作りました。鐘は月の後ろに置き、月を見守るようにしました。

 ある日のことです。ウサギの耳をていねいになでている時、クロウナガンさんはふぅっとあたりがぼんやりかすんでいることに気づきました。あたりが夕方のように暗くなってしまったのです。クロウナガンさんはそれはめまいというものだと思いました。食べるものがあまりないので、体が弱ってしまったのです。
クロウナガンさんはやっとの思いで、自分のベッドまで這っていきました。そしてそのまま重い病気になってしまったのです。

 夜になりました。空に明るい月が顔をだしました。今日は満月です。空のお月様はクロウナガンさんの家の窓をのぞき、石膏の三日月をじっと眺めました。そしていいました。「石膏の三日月さん、クロウナガンさんを助けて上げなさい」そうしてお月様は体をふっとゆすりました。
 すると、そこから大きな光の帯が出て、夜空を流れ、クロウナガンさんの家の三日月に入ったのです!三日月はびっくりしました。いのちが入ったのです。口もきけるようになっていました。
 三日月は隣にいるウサギに声をかけました。「ウサギさん、ウサギさん」。すると、ウサギもまた、それまでただの石膏のウサギだったのが、たちまち生きたウサギのようになったのです。ウサギは目をぱちくりさせて、三日月を見ました。「まあ、わたしたち、お話ができるんですね」ウサギがうれしくってたまらずそういうと、その声でこんどは鐘が目を覚ましました。「私は鐘ですが、仲間に入れてください」
 それから三日月とウサギと鐘はクロウナガンさんのことをはなしました。
 「クロウナガンさん、病気になってしまったようです。どうしたらいいでしょう」三日月がそういうと、ウサギがいいました。「食べるものがあるといいんですけどねー」鐘がいいました。「なんとか私たちで手にいれられないでしょうか」
 それを聞いていた空のお月さまが三日月にいいました。「外に出てごらんなさい」
 三日月はびっくりしました。家の外に出られるなんてそれまで考えたこともなかったのです。三日月はそっと体を動かしてみました。動きました!それを見てウサギもそっと体を動かして見ました。動けました!三日月とウサギはそろそろと家の外に出ようとしました。「私を置いていかないでくださいよー」と鐘が言いました。鐘も体を動かしてみました。動きました!

続きは明日・・・

# by mimishimizu3 | 2012-01-16 16:26 | 童話
2012年 01月 14日
滝と赤い橋
福岡、篠栗南蔵院にて
滝に見とれる坊やよりも、お孫さん?の手をしっかり握っているおじいちゃまの姿が印象的でした。

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# by mimishimizu3 | 2012-01-14 09:25 |
2012年 01月 11日
鎮守の森
風もなく、穏やかな日であった。こういう日を冬晴れと呼ぶのだろうと思いつつ、私は午後、散歩をかねて近くの神社まで行った。
小さな神社は、この地域の守り神、後ろに森を背負い、まさに「鎮守の森」である。
私は暖かな日差しを浴びて、しばしそこに佇んだ。
この景色は昔、幼いころの私が見た景色と変わりはない。「鎮守の森」はどこにでもあった光景なのだ。
目を閉じた。
ふと少女たちの笑い声が聞こえたような気がした。この神社の境内で遊んでいるのだ。着ているものは貧しかったが、生き生きとした声があふれていた。
それは昔の私たちの姿であった。
その頃、近所の子どもたちは、学年が異なっても、よく一緒になって遊んだ。公園などない時代、遊び場所に困ることはなかったが、それでも広い神社の境内などが多かった。
私たちはよくゴムとびをした。輪ゴムを鎖のように2メートル近く結び、その両端を持つ人と、ゴムをとび超えるものにわかれ、ゴムをだんだんと高くしてゆく遊びである。

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私は、運動神経がなく、誰もが普通に飛び越えられる高さでもつまずき、飛び越えることができなかった。個人だけでするときはそれでもよかった。私だけが恥ずかしい思いをすればいいのだから・・・
でも二手に別れどちらの組がうまく飛べるかを競う段になると、私はみんなの邪魔者であった。私が入るとその組は必ず負けるとわかっていたからである。
遊び仲間のリーダー格は2年年上のS子ちゃんであった。

あるとき、あの時は何人ぐらいの仲間がいたのだろうか、7,8人はいたのだと思う、S子ちゃんがみなの前で我慢がならないというふうに邪険に私に言った。
「〇〇ちゃん(私のこと)、あんた帰り、もう遊んであげないよ、あんたが入ると負けるじゃん、いつもいつも負けるじゃん、あんたなんかいないほうがいいよ、帰り!」

私は黙って下を向いた。不思議に涙は出てこなかった。そういう言葉はいつか言われるかもしれないと心のどこかで思っていたのかもしれない。

私は皆からはなれ、神社の石段に座った。皆は私を無視してしばらくゴムとびをしていたが、やがてS子ちゃんが皆に言った。「かえっろう~面白くないじゃん・・・」
皆はいっせいに駆出しその場からいなくなった。

私は一人、ぽつんと神社の石段に座り続けた。
哀しみが徐々に私を覆ってきた。一人になると静かに涙がほほを伝った。
涙をぬぐうこともなく私はぼんやりと空を見上げた。いつの間にか夕焼けが空を染め始めていた。私はただ、夕焼けを見詰め続けた。
透明な哀しみが、白い結晶になって、心の底に静かに落ちてゆくようだった。
あたりが薄暗くなりかけて、私はやっと腰を上げた。家に帰らなければ・・・

私は立ち上がり、歩き出した。そのとき、ふと石段の隅にセーターが置いてあるのに気づいた。それはS子ちゃんが着ていたセーターだった。遊んでいるうち、暑くなって脱いでいったものだろう。
私はそのセーターを手に取った。S子ちゃんの家は私の家からそう遠くはない。届けなければ・・・・・そう思って手にしたセーターだったが、ふと私はそこで立ち止まった。
「あんたが入ると負けるじゃん、いつもいつも負けるじゃん、あんたなんかいないほうがいいよ、帰り!」と言う声がこだまのように私の頭に鳴り響いた。

結局、私はそのセーターをそこに置いたまま家に帰った。
幼いながら、私は自分の心の中に、黒い、邪悪な塊があるのを知った。
哀しみの白い結晶と、邪悪な黒い塊は、碁石の白と黒の石のようになって、私の心の中に沈殿していった。

その後、S子ちゃんとどんな関係が続いていったのか、不思議なことに記憶がまったくない。家も近かったのだから、その後も関係が途絶えることはなかったと思うが、私の思い出のページはそこまでしかないのだ。
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しかし・・・
人生とは時にまったく思いもかけないことが起こるものだ。

それから何十年立った頃だろう。私はふるさとを離れ、遠い、遠い地に住むようになっていた。
母が病気で入院したという知らせが入り、私は久しぶりにふるさとに帰ったことがあった。
母は、私がいたころにはなかった△△病院に入院しているというので、私は教えられたとおり、実家からはそう遠くない病院に行った。
ガラスを多用した、明るい清潔感あふれる病院であった。
玄関を入り、私はきょろきょろとあたりを見回した。病室にはどうやっていくのだろう・・・
そのとき「〇〇ちゃん」という声がした。私の名前であるけれど、私は自分のこととは思わず、案内表示を探していた。
「〇〇ちゃん!!」
いきなり肩をたたかれた。私はぎょっとして振り返った。
ブルーの制服を着て、三角巾を頭にかぶり、モップを持った掃除をする人が私を見てにこにこ笑っていた。
その人はさも懐かしそうに、「よく来たねえ・・・」といった。「オバサンが入院したと聞いたからあんたがくると思って待っていたんだよ」

私はきょとんとした。誰だろう、この人は・・・・
顔を見ても私には誰か思い出せなかった。人間違いだろう、私がそう思ったとき、その私の心を察したのかその人は行った。
「S子だよう、よくいっしょに遊んだじゃん、あたし、あんたをかわいがってあげたじゃん・・・」

そういわれ、私はその人の顔をもう一度まじまじと見た。そういわれれば、日焼けで黒くなり、しわも出てきた顔の中にも、昔のS子ちゃんの面影がどことなくあった。
私は混乱した。S子ちゃんとわかっても、昔の幼馴染にすぐには抱きつけない私がいた。「あんたをかわいがってあげたじゃん・・・・」その言葉に私は戸惑った。
S子ちゃんは私が困った顔をしているのを見ると、母のところに早く行きたいのに、自分が引き止めているとでも思ったのか、「オバサンの病室は☓☓号室だよ、はやく行ってやり」といった。

後から聞いた話によると、S子ちゃんは私の母にとてもよくしてくれたらしい。仕事が済むと、よく母の病室に来て「〇〇ちゃん」といって、私のことも懐かしそうに話していったとか・・・入院中の母はどれだけ慰められたか知れないといい、私にいい友達を持ったね、といった。
S子ちゃんは本当にやさしいいい人だったのだろう。あの時、私を否定する言葉を投げつけたのも、あまりにも私がゴムとびができず、いらいらしてしまったからついつい出てしまった言葉なのかもしれない。
しかし、言ったほうは忘れても、言われたほうは忘れることはなかなかできないものだ。

あの時感じた私の哀しみは本当の哀しみだったし、S子ちゃんが私を否定したことも事実なのだ。
そう思ったとき、私はふと、ずっと心の底にしまいこんできた碁石のような白い玉と黒い玉がすーと浮かび上がってくるような気がした。

そのときの母の病気はたいしたことなく、私は早々に福岡に戻ることにした。
帰る前、私はあの「鎮守の森」に行ってみた。
あたりの様子は私の子供のころとなんら変わっていなかった。
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私はすーと大きく息を吸うと今度は思いっきり大きく息を吐き出した。
吐き出した息の中に、私が心の底にしまいこんできた碁石のような白い玉と黒い玉があるような気がした。
二つの玉は風船のように風に乗り、「鎮守の森」に吸い込まれていった・・・
鎮守の森はその二つの玉をそっと抱え込んでくれ、私はやっと幼いときの自分から解放されたのを知った。

# by mimishimizu3 | 2012-01-11 10:57 | エッセイ
2012年 01月 10日
短き冬の日
  カーテンに
  斜めの光
  踊り出で
  短き冬の日
  ストンと落ちゆく

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# by mimishimizu3 | 2012-01-10 09:40 | 短歌
2012年 01月 07日
赤い実
外はどんよりと曇っています。
冬の福岡は、意外に日照時間が少ないのです。
「九州」というと、冬でも暖かく、明るい南国のイメージを持たれる方もあるようですが、それは太平洋側に面した宮崎や鹿児島のこと、博多は日本海側に面しているため、雪こそ降りませんが、冬は暗い日が多いのです。

そんな中、注意して見回すと、その暗さを吹き飛ばすかのように、この時期、「赤い実」をつけた木が多くあることに気づきました。


ナンテン
たくさん、たくさん実をつけています。難を転ずるとか・・・・おめでたい花ですね。
私もあやかりたい…(^.^)です。
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モチノキ
昔、子供たちと一緒に「モチモチの木」という童話をたのしみました。
一人の臆病な少年がおじいさんの病気をきっかけに大きく成長していくという内容でした。
その童話で大きな役割を果たしたのが「モチノキ」
私はモチノキを見るとその童話を思い出してしまいます。

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クコ
薬用にもなるようですね。
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マサキ
どこにでもあるありふれた木で、いつも目立たない存在ですが、赤い実をつけた今、しっかりと自己を主張し、輝いているようです。
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マンリョウ
ツワブキの綿毛といっしょに、仲良く咲いていました。
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おまけ
今の時期、白い、こんなに清楚な花をつけるこの木はなんでしょうか・・・
ご存知の方、教えてください。

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# by mimishimizu3 | 2012-01-07 13:22 |
2012年 01月 04日
赤い橋
近くの神社の橋
あまりきれいでもなかったので(失礼!)逆に、思いっきり目立たせてあげようと思い、パソコンで遊んでみました。

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# by mimishimizu3 | 2012-01-04 13:40 |
2012年 01月 02日
あけましておめでとうございます
新しい年がやってまいりました。
新しい光につつまれています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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今年は、年賀状を書く気にもなれず、一枚も賀状は出しませんでした。
ここで改めて、新年の挨拶とさせていただきます。


穏やかな、平和な年でありますように・・・
そう願うばかりです。

2009年、12月21日のブログに「5年連用日記」のことを書きました。
そこにはこんなことが書かれてありました

「ふと、5年連用日記というのが目に付いた。
5年連用・・
同じ日付のものが5段になっている。私はまた考えにふけった。
5年後、私はどうなっているだろう。第一、この世にまだ存在しているだろうか、生きているとしても、どんな状態でいるのだろう。それは誰にもわからないし、いくら考えても答えがわかるものではない。
私は買おうかな?と思った。
5段になっている日記帳は昔私が思っていた自分の思いのたけを書き綴る《日記》というものとはまったく異なり、たんなる行動記録に過ぎないものになるだろう。でも、それが却っていいかもしれない。
この日記帳が終わるまで、ともかく元気でいよう、毎日日課としてその日の行動を記録してみよう。
人生のたそがれが近づいている今、かぎりない薄明が来る前に、一つの目標として、この日記帳が終わる日まで、ともかくその日まで、精一杯生きてみよう。
そう思い、私は日記帳をレジに持って行った。」

今年、その日記帳はあと3段を残しています。

  
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この3段が埋まるまで、なんとか日記を書くことができますように!!
新年にあたり強く、強くそう思いました。

# by mimishimizu3 | 2012-01-02 16:58 | 季節の挨拶
2011年 12月 29日
年末にあたって   生と死をみつめて
今年もあとわずかとなりました。
この一年を振り返ってみると、3:11の東日本大災害があり、日本中の人々が、いやおうなく生と死を考えさせられた年でした。今年を表す漢字一字には「絆」という文字が選ばれたそうですが、2番目には「災」があがっていたとか。

個人的には、私にとって、この一年はまさに「災」の年でした。
このブログではカミングアウトしませんでしたが、2月には大きな怪我をして、3日間入院、手術。幸い、手術も成功し、怪我はまったく元通りに直ったのですが、8月ごろから、どうも体調が思わしくなく、病院にいったところ、さまざまなことがありましたが、結果的に、思いもかけない大きな病名が告げられました。着の身着のまま即入院、入院生活は45日間にも及びました。
息子たちが文字通り、飛んでやってきて、お母さんにはパソコンが必要と、個室であったことを幸い、家から私のパソコンを病室に持ち込み、無線ランでつないでくれました。
おかげで何とかブログも続けられ、入院生活の徒然も慰められました。
このブログを見ていてくださった方は、初秋から中秋にかけて、まさか私が病室からブログの更新をしていたとは思われなかったのではないでしょうか。

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「想定外」、まさかこの私が・・という思いもありました。が、しかし、自分でも驚くほど、私はその病名をすんなりと受け入れることができました。それは一つには、これまでの自分の人生を肯定していたからかもしれません。やりたいこともしました、行きたいところにも行きました。家族にも恵まれました。欲を言えば切りが在りませんが私は今までの自分の人生を、自分の身の丈にあった、幸せな人生だったと思っています。

今まで生きてきて、「死」ということはいつか自分にも来るとはわかっていても、どこかひとごとで、遠い先のこと、というのが本当のところでした。
しかし、病室の窓からぼんやり空行く雲を眺めるだけの生活は、いやが応にも「死」を考えさせられる毎日でした。
いつか来る「死」だれも免れない「死」
東日本大震災ではどれほどの人が、「死」に直面し、「死」を身近なこととして受け入れざるを得なかったのでしょう。人類史上、死ななかった人はいないのです。だれの上にも必ずくる「死」。私の上にも、いつか来る「死」
それはいつ、どういう形で現れるのかわかりません。わからないからこそ、不安であり、恐怖なのでしょう。

私の病気がこれからどう推移していくのかそれはわかりません。
ただ、私は病気と「闘う」という姿勢はとりたくないと思っています。
よく「闘病生活」といいますが、私は「闘う」のではなくなんとかうまく病気と「共生」していく方策を探したいと思っています。

「あなたが生きているということ、それだけで家族は幸せなのだよ」
退院した日、家族が私に言ってくれた言葉です。それは自分の命は自分ひとりのものではないのだ、ということを改めて思い知った言葉でもありました。

新しい写真はなかなか撮れませんが、古いものを引っ張り出してでも、このブログはなるべく多く更新していきたいと思っています。

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私のことをよくわかっていてくれる友人は3日間更新が滞ったとき、「なにかあった?・・・」と心配してくれました。すばらしい友人に恵まれたことをこころから感謝しました。
今は生きている証であり、いつかはきっと、生きてきた証となるであろうこのブログを、来年もまた見ていただけたらうれしゅうございます。

来年は、きっと「福」の年になるでしょう。朝の来ない夜はないのです。
「災い転じて福となる」ということわざもあります。
きっといい年、来年はきっと明るい、良いことのたくさんある年、今年流した涙の分だけ幸せがやってくる年、そう信じています!

どうかよいお年をお迎えください。
一年間の感謝を込めて・・・・

# by mimishimizu3 | 2011-12-29 16:22 | エッセイ
2011年 12月 26日
福岡の東郷神社
昨夜、NHKドラマスペシャル「坂の上の雲」が終わりました。
最終回には、日本海海戦の場面が多く出ていました。東郷平八郎を演じた渡哲也さんもかっこよかったですね。

それを見ながら、そういえば・・・と思い出しました。
東京の東郷神社は有名ですが、福岡にも福津市に「東郷神社」があります。
3年ほど前、訪ねたことがあったのです。

熱烈な東郷平八郎を崇拝する方が、私財をなげうって建てた神社ですが、今では神社庁からも認められている、正式な神社です。


こじんまりとした神社です。
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由来
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ドラマの中でも良く出てきた有名な言葉
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海を背景に記念碑が建っています。
右には東郷平八郎のプレートがはめ込まれています。
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そこから眺めた日本海
神社の方の話によると、日本海海戦のとき、ここまで号砲の音が聞こえたそうです。
この平和な海で、かってすさまじい戦いがあったのかと・・・しばし眺めていました。
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# by mimishimizu3 | 2011-12-26 17:48 | 福岡
2011年 12月 25日
女神大橋
長崎にある女神大橋
2005年12月24日撮影
まだ、一眼も持たないときでした。オリンパスのコンパクトデジカメ、770C.
クリスマスイブに長崎の教会を巡る撮影会がありました。そのときに撮ったものです。

あれからもう6年もたっているのですか・・・
この橋は、クリスマスにアップしたいと思っていました。私の中では、「クリスマスの橋」なのですから・・・・・・・・!(^^)!

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おまけに・・
そのときに立ち寄った黒崎教会の祭壇の飾りつけ
今日はクリスマス、すべての人に平安がありますように・・・
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# by mimishimizu3 | 2011-12-25 16:51 |
2011年 12月 24日
クリスマスの思い出
今日はクリスマスイブ、日本列島は、クリスマス寒波に見舞われ、全国的に荒れた天気になるようです。
そんなイヴの夜を、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

クリスマスイブ、といえば、私には忘れられない思い出があります。

高校1年の秋、クラスに一人の転校生がやってきました。
T子さんというその人は、都会の大きな高校から、公務員の父親の転勤で、私の通う、小さな高校に来たのです。学力も私たちより遥かに上だということはすぐにわかりました。でも、そんなことをひけらかすこともない人柄で、私は席も近かったこともあり、すぐに親しくなりました。
ある社会科の授業のときです。なにかのついでだったのでしょう。「原罪」という言葉が出てきました。私は始めて聞く言葉でした。教師が言いました。
「原罪、ってなにか知っている者、いるか・・」
誰も手を上げませんでした。
教師は数秒間、宙を見詰め、そして言いました。
「T子さん、あなたなら知っているよね」
それはあきらかに、この学校の生徒にはわからないだろうけれど、優秀な転校生なら知っている、ということを私たちに示しているようでした。
T子さんはまるでいやでたまらないように、ゆっくりとたちあがると、ぼそぼそっと、小さなつぶやくような声で答えました。
「人間が生まれながらに持っている罪、のことです」

そのとき、私は脳天をぶち抜かれたようにびっくりしたことを今でもありありと覚えています。
人間が生まれながらに持っている罪??なにそれ!!・・・私にも「罪」があるの・・生まれたということが「罪」なの?・・・それはそれまで、私の考える範疇にはまったくない発想でした。
その授業がそれ以上、どういう風に展開して行ったか、その記憶は定かではありません。ただ私の脳裏に「原罪」という言葉だけが鮮やかに記憶されたことだけは確かです。

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その年、クリスマスが近づいたとき、T子さんが私に言いました。
「うちで、クリスマスパーティをするんだけど〇〇ちゃん(私のこと)来ない?」
私は喜んでその招待を受けました。
招待されたのは、私のほか、あと3名でした。
リスマスイブの夜、その日も、風の強い、寒い日でした。
私たちは待ち合わせて夕方、T子さんの家に行きました。
小さな小さな、官舎でした。玄関を入るとすぐにいいにおいがしました。お母さんの手料理だとすぐにわかりました。
狭い部屋でしたが、手作りのクリスマスツリーが飾られ、星が輝いていました。私たちに下さるプレゼントも、きれいな手作りの箱に入って、飾られてありました。
お父さんは皆に賛美歌を渡し、お母さんのオルガン伴奏で、みなで賛美歌を歌いました。
私はそのときになって初めてT子さん一家がクリスチャンであったことを知りました。
お母さんの心のこもった料理もおいしく、それは、ささやかであっても暖かい、本当の和やかさに満ち溢れたクリスマスパーティでした。
外は風が吹き荒れ、帰りは難儀をしましたが心はホコホコと温かかったものです。

それから30年ほどして、同窓会の折にT子さんを囲み、あの時招待された数名が一同に会し、食事をしたことがあります。
みな、小さな官舎のクリスマスのことは良く覚えていて、話しは盛り上がりました。
誰にとっても青春の楽しい一ページだったのです。
そのとき、私はふと思いついて、「ほら、☓☓先生の授業で、《原罪》って出たことあるじゃないの、覚えている?」と聞いてみました。
しかし、誰もその授業のことは覚えていませんでした。
当のT子さんも「そんなことあったっけ・・」というばかりでした。

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「原罪」とは何なのか。私にはいまだによくわかりません。
広辞苑によれば「アダムが神命に背いて犯した人類最初の罪(旧約聖書 創世記) 人間はアダムの子孫として、生まれながらに原罪を負うとものと考えられる」とありますが、そんな説明を聞いても私にはピンときません。

それより、あの時「T子さん、あなたなら知っているよね」と、私たちを見下すように言った教師に私の心は傷つき、「原罪」という言葉とセットになって私の脳に収められてしまったのでしょう。

クリスマスイブ、楽しかった青春、傷つきやすかった青春、こもごもの思い出がよぎります。

今宵、クリスマスイブ、皆様の上にも、良いことがありますように・・・
メリー、メリー、クリスマス!

# by mimishimizu3 | 2011-12-24 13:04 | エッセイ
2011年 12月 21日
温室の花
暗い画像が続いたので、なにか明るい花を・・・と思ってハードディスクを探しましたが・・・

温室の花

どういうわけか、温室に入ると、あまり「写したい」という思いが沸かなくなってしまって・・・

温室の花、きれいなのですがねえ・・・(^.^)


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へそ曲がり・・・
こんなのばかり目に付きます !(^^)!
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# by mimishimizu3 | 2011-12-21 10:50 |
2011年 12月 20日
光と語らふ
   雪雲の切れ間より漏るひとすじの
 
      光と語らふ

    一人居の午後

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# by mimishimizu3 | 2011-12-20 11:01 | 短歌
2011年 12月 19日
冬の雨の日
  ふりそぼつ冬の雨の日
  一人居の
  午後はけだるく
  虚空みている

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# by mimishimizu3 | 2011-12-19 09:38 | 短歌
2011年 12月 17日
暗き土曜日
 
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  ただひとり

  地の底ふかくいるような

  冬の雨降る

  暗き土曜日

# by mimishimizu3 | 2011-12-17 13:14 | 短歌
2011年 12月 16日
冬のバラ
多くの仲間は 枯れてゆき
無様な姿をさらしているのに

懸命に生きようとしている
冬のバラ

昨夜来の雨の雫が

涙のように
光っていた

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# by mimishimizu3 | 2011-12-16 10:46 |
2011年 12月 15日
通潤橋
13日、「錦帯橋」をアップしたとき、「名橋」の名に恥じない橋、と書きました。
「名橋」といえば、熊本にある「通潤橋」も忘れるわけにはいきません。

橋の真ん中から豪快に水を放出する姿は、痛快であり、驚きでもあります。
昔の人の知恵には本当に敬服するだけです。

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# by mimishimizu3 | 2011-12-15 17:36 |
2011年 12月 13日
錦帯橋
あるかたのブログを見ておりましたら、「錦帯橋」が出てきました。
それを見て、「そうそう・・・私も行ったことあるなあ・・・」と思い出し、古い画像を探し出しました。

錦帯橋、山口県、岩国にある5連の美しい橋です。
登って降りて、登って降りて、また登って降りて・・・・5連のアーチが美しい、遊び心もいっぱいの、そして技術的にもすばらしい、「名橋」の名に恥じない橋です。

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# by mimishimizu3 | 2011-12-13 10:16 |
2011年 12月 10日
もみじ降り積む
誰にもみられることもなく

ひっそりと 降り積むもみじ

哀しみを受け止めるかのように

ベンチの上には

乾いたもみじが散り敷いていた

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# by mimishimizu3 | 2011-12-10 11:00 | 自然 風景
2011年 12月 07日
渡れるよ・・・
昨日の、流れの飛び石を渡る少女を見て思い出しました。

昨年の今頃、たった1メートルくらいしかないけれど、それでも、高さはかなりあるので、恐る恐る石の橋をわたっている少女がいました。

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# by mimishimizu3 | 2011-12-07 11:09 |