2010年 01月 10日
そろそろ今年の年賀状も出揃い、整理のときがやってきた。 いただいた年賀状を一枚一枚手にとって眺めていると、さまざまな思いが去来してくる。 もうこの人とは会うこともないだろうなと思いつつ、でも、何十年も年賀状だけはやり取りしている人もいる。その人から年賀状が届かないと何かあったのかな、と思ってしまう。この年になると、年賀状は安否確認の意味を呈し始めてきているのだ。 そんな中、私は一枚の賀状に目が留まった。儀礼的な挨拶の余白に、こう書かれてあった。 「今は夫の介護に明け暮れています。ほとんど自分の時間はありません。あなたとよく大濠公園でおしゃべりしたのを懐かしく思い出します。」 私は遠い日の、記憶のページをたぐり寄せた。 その人とは昔、ある文学講座で一緒だった。わたくしよりいくつか年上のその人は美しく、ものやわらかで上品な人だった。特に私は《好もしい翳り》とでもいうしかない、物静かさが好きだった。私はその人に憧れに近いものさえ感じていたのだろう。 講義が終わると私たちはよく大濠公園まで歩き、簡単なお昼を取りながら取り留めのない話をした。 そんなある日、彼女は何気ない話し振りで私に言ったことがある。 「あなたのご主人はあなたがこの文学講座に来ることについて、なんにもおっしゃらないのでしょう」 私は一瞬何のことか、その言葉の意味するところが判らなかった。 「どういうこと・・」と私が言うとその人はすこしさびしそうな表情を浮かべ言った。 「うちの人は、私が文学講座にくるのを嫌がっているみたいなの・・ 文学なんて勉強して何になるんだって・・・一銭の得にもならないことをするより、株の勉強でもしろって・・・」 私は返す言葉がなかった。 それからもその人は月2回の文学講座には欠かさず出席していた。私は、彼女はどんな思いで毎回出てくるのだろうかと思いつつ、それきり家庭の話はしなかった。 その人は字も綺麗な人だった。お習字というより書道もしていて、ある年、書道展で小さな賞をとった。お祝いを兼ね、一緒に美術館に見に行ったとき、私はふと思いついて彼女に言った。 「書道をすることに関してはご主人はなんとも言わないの?」 彼女は「ええ。お習字はいいのよ。・・」といってから少しばかり言いよどんだ。 が、思い切って言うように、ちょっと声のトーンを変えて言った。「だって年賀状は主人の分まで全部私が書いているし・・・、会社でも今では私が書いているって判って、みんなにほめられるらしいのよね、だからお習字はいいの・・・」 パソコンもない時代、年賀状は印刷屋に頼むか、手書きしかなかった。夫の会社関係まで、全部妻が書いた手書きの年賀状を出すのかと、私は少しばかり驚いた記憶がある。 しかし、たったそれだけのことで、夫婦の間のことを決め付けることはできないだろう。 案外仲良く、夫婦円満に暮らしていたかもしれない。 私たちはお互い、あまり家庭のことは話さなかったし、その人もそれ以上は何も語らなかった。 しかし、夫婦の価値観が違っていたことだけは確かだろう。 古典文学が好きで、夫からは歓迎されていないと知りつつ熱心に講座に通っていた妻と、一銭の得にもならない文学なんてやってなんになる、という考えの夫。 今、彼女は献身的な介護をしつつその夫とどんな会話をかわしているのだろうか、夫のベッドの傍らで、彼女はどんな思いを抱いているのだろう・・・ そして私は思った。あれからもずっと彼女は夫の年賀状を書き続けたのだろうか、介護が必要となった今年、いったいどんな年賀状を夫の名前でかいたのだろうかと。 暖かくなったら、一度電話でもしてみようかな、私はふとそう思った。
by mimishimizu3
| 2010-01-10 07:42
| エッセイ
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