2007年 12月 17日
ふと、ぬけるように澄んだ初冬の空を見上げると、すっかり葉を落とした木の上に、取り残されたように二つの柿があった。一つは鳥についばまれた跡がくっきりとある。 「木守り・・・」 私はそうつぶやくとじっとその柿を見つめた。 木守り」という美しい日本語を私に教えてくれたのは祖母である。 祖母は幼い私の手を引いて、よくお寺に行った。 墓参りが済むと、祖母は本堂に上がり、手を合わせ,念仏を唱えながら、長い間祈っていた。その間、私は一人境内で遊んでいた。私は一人遊びが好きな女の子だった。 お寺には住職のほかにもうひとり中年の僧侶がいて、私が行くとニコニコして「よく来たね」と頭をなでてから、よく、「ほうっら・・」と、袈裟の袂からお布施でもらってきたお菓子を出して、私の手の上においてくれた。まだ甘いお菓子が貴重だった時代、それはとても嬉しいことだった。そんなこともあり、私は祖母とお寺に行くのが好きだった。 その時も、お寺の帰りだった。 境内の柿の木を見上げ、祖母が言った。 「あれはね、木守りっていうのよ。人間が全部食べてしまうのではなく、冬でえさがすくなる鳥さんのために、いつくか残しておいてあげるの。そうするとそれがお守りになって、来年また、たくさん実をつけてくれるのよ」 その時、何故か祖母はとても悲しそうな顔をしていた。私の手をしっかりと握り、なにかに耐えているような様子だった。 祖母はいつも静かで、口数も少ない人だったが、その時は特に、しみじみと空を見上げ、自分に語りかけるように、私に話していたのだ。私は幼いながら、その祖母の様子に何時もと違うなにかを感じ、おとなしく、うなずいただけだった。 私が、「木守り」という言葉をしっかりと頭に刻み込んだのは、そんな祖母の表情があったからかもしれない。 しかし、私はその時の祖母が何を悲しんでいたのか、気遣うことはなかったし、それからも、そのことについて思い巡らすことはついぞなかった。 月日は流れ、毎年秋が来て、初冬の空に木守りを見ることがあっても、私はそれでも、祖母を、祖母としてしか見ていなかった。 祖母は私にとって、幼いときも、おばあちゃんであり、小学生の時もおばあちゃんであり、成人してからもおばあちゃんであった。祖母に年を感じたことはなかったし、ましてや祖母を一人の女性としてみることはついぞなかった。 そんな私がふと、そういえばあの時、おばあちゃんはいくつだったのだろうと思いついたのは、私が40代になったある秋のことだった。 今と同じようにすっかり葉を落とした柿の木に、一つか二つ残った柿を見ていた時、私は電気でも体に受けたように、あの時おばあちゃんは今の私と同じ、まだ40代だったのではないか、と思った。それは私が初めて祖母を一人の女性として見た時だった。 40代といえば、まだまだ女としての情念があってもおかしくはない。 私は記憶の糸を手繰り寄せた。 そういえば・・・ 私にお菓子をくれた中年の僧侶はいつの間にかいなくなっていた。 あのお坊さんはいついなくなったのだろう・・・ もしかして、あの時祖母はあの僧侶がそこを去るということを知ったときだったのではあるまいか・・ 祖母が人生のある時、淡く、ひそやかに、思慕を寄せる人がいてもおかしくはなかったろう。 私はむしろそうであってほしいと願った。祖母の人生のパレットに、ほんのすこしでも、美しい、パステルのよういろどりがあったとしたら・・・ 「木守り」を見上げながら、私は鬼籍に入って何十年にもなる祖母を思い出していた。
by mimishimizu3
| 2007-12-17 10:58
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